私の7月16日。なないろの日。
『7月16日』
私にとっては生涯忘れることのない、特別な日です。
令和元年。
今年もこの日が巡ってきました。
7・16→ なな・いろ
〝なないろの日〟
単純な語呂合わせではありますがこの語呂に込めた思い、また、この日に寄せて今の心境をお話いたします。
私の尊いたからもの。ふたつの命。
私たち夫婦には子どもはいませんでした。
しかし、過去にはふたつの命が私の中に宿ってくれました。
1人目は夫とおつきあいしていた時。
2人目は結婚して2年目を迎える前でした。
でも、ふたりともすぐにお別れがやってきました。
7月16日
奇しくもふたり、同じ日でした。
1人目を失ってから1年後、私たち夫婦は結婚しました。
日にちは7月16日にしました。
それから毎年、7月16日。
結婚記念日には、ふたりで地元の写真館で記念写真を撮り、お寺の水子地蔵さんにお参りしてきました。
1人目。手放した命
1人目ができたのは、夫とつき合い始めてから7ヶ月ほど経った時でした。
私は産みたいと最後まで懇願しましたが、夫と夫の両親から断固産むことを許されず、堕ろす以外の選択肢を与えてもらえませんでした。
7月16日。
手術当日まで、夫が「やっぱり産もう」と言ってくれることを願っていましたが、その思いは届きませんでした。
私は手術台の上で医師のカウントで眠りに落ち、無意識の内に赤ちゃんとお別れしました。
病院のベッドで目覚めたとき、ベッドの横にサンドイッチとパックのお茶が用意されていました。私は何も考えず、それを口にしました。
次第にお腹の中にもう赤ちゃんがいないことをあらためて認識し、私はサンドイッチを食べながら、声を押し殺して大泣きしました。
2人目。旅立った命
結婚して1年が経とうとしていた頃、妊娠が分かりました。
1人目を妊娠した時に似た体の異変を感じ、妊娠検査薬で調べると陽性反応がでました。
しかし、産科で見てもらっても赤ちゃんの姿を確認できず、数日後にまた来るように言われ、再び診察してもらうことに。
エコー画像では、赤ちゃんが入る袋〈胎のう〉がありましたが、その中に入るはずの赤ちゃん〈胎芽〉が袋から落ちかかっているような感じでした。
先生は率直に、でも穏やかに
〝もしかしたら残念な結果かもしれない〟
というようなことをおっしゃいました。
私はそのときはまだ気が張っていて、その言葉にしっかり受け答えをしていました。
帰宅後、私はとにかく身体をあたため、お腹に手をあて、袋から落ちかけている赤ちゃんに「お願い、がんばって」と心の中で必死に叫んでました。
その次の日は7月16日。
結婚記念日でした。
私たち夫婦は地元の写真館にいました。
写真屋さんのお声かけに応え、カメラにとびきりの笑顔を向けている間、少しずつ私たちの赤ちゃんが流れていくのを感じていました。
そして、その日の夜。
たくさん出血しました。
この中に赤ちゃんがいたのだと思うと、その赤色がいとおしく、しばらく眺めたまま動けませんでした。
ふたりへの思い
ふたつの命。
この世に誕生させてあげられなかったこと、とても申し訳なく思っています。
今でもその悲しみ、喪失感、身を切られるような心の痛みは癒えていません。
でも、勝手だと怒られてしまうかもしれませんが、ほんのわずかな時間でも私のなかに宿ってくれたこと、〝お母さんのきもち〟を教えてくれたこと、心からありがとうの気持ちもいっぱいです。
この手で抱くことはかないませんでしたが、ふたつの命は、私の心の中でいつまでも生き続ける尊いたからものです。
もし、子どもたちがどこかで生をうけられる時が来たら、お父さんお母さんの愛情をたくさんもらって、輝くなないろの世界を見てほしい。
そう思います。
7月16日の結婚にこだわった理由
なぜ、1人目の子をなくした日を結婚記念日にしたか。
それは
尊い命の存在を生涯忘れないように
そして、この日を
夫婦にとって
明るい未来への入り口にしたかったのです。
7月16日を〝なないろの日〟と語呂合わせをしたのは後付けでした。
たまたまその語呂に気づき、
なないろ=虹色
〝雨上がりの空にかかる虹〟の画が浮かびました。
悲しい涙の雨のあとには
晴れやかな青空。
ゆるやかに孤を描く虹。
誰もが空を見上げ、思わず笑みがこぼれる。
やさしくあたたかい気持ちになるような、しあわせいっぱいのイメージが湧きました。
ふたりで新しい一歩を踏み出すなら
7月16日。
この日がいい、と思いました。
夫と離れ、はじめての7月16日
夫との別居から、
はじめての7月16日がやってきました。
いつもはふたりで写真を撮り、ふたりでお参りしました。
今年、その夫はとなりにいません。
思えば、1年前のお参りの際。
私は子どもたちに手を合わせながら、心の中でこのようなことを話しました。
お母さんは、お父さんとしあわせになりたいけれど、もうだめかもしれない。
来年、お父さんとお母さんは一緒にここに来られないかもしれない。
本当に、
ほんとうに悲しい思いをさせてばかりでごめんね。
そのとおりになってしまいました。
夫の心が分からず、恐怖と不安に押しつぶされそうな日々。
この時も、私の心はとても不安定でした。
年に数回、水子地蔵さんを訪れていましたが、私はいつも胸を締め付けられる思いでいました。
いつも夫婦の酷い様子を見せてしまったり、泣いてばかりいること、真にしあわせな姿を見せられないことで、子どもたちに悲しい思いをさせてしまっているかもしれないことを心から詫びました。
そして、今日からまた
良いお父さんお母さんになれるように、日々感謝の心を忘れず、夫婦円満な家庭を築けるように努力し続けることを子どもたちに誓っていました。
犠牲にしてしまった子どもの命。
その後、同じ日に旅立った命。
私には、何かしら子どもたちからのメッセージがあるような気がしてなりませんでした。
表面的には夫婦でも、真に心が繋がることができていないことに、命をもって私たち夫婦への課題を示したのではないかと考えたのです。
なので、
夫からどんな理不尽な扱いを受けても、これを乗り越え、人としてもっともっと成長することで本当のしあわせが舞い降りるのだと思い、必死に夫と向かい合おうとしていました。
今日、去年までとは違う場所に立ち
あらためて、
それまでの自分を思い返していました。
私は手を合わせながら
現状の報告と、あらためて、最後までお父さんと寄り添えなかったことを謝罪し、これからも子どもたちへの思いは変わらないこと、未来への希望と決意を話しました。
怖いです。
でも、心の中の子どもたちに情けない姿は見せたくありません。
勇気を出して、夫の元を離れた。
私は、私のなないろの未来の入り口を探そうと強く思いました。