妻、やめます。

モラハラ夫と過ごした日々の回想録

私たちが子どもの命を手放した話⑤〜中絶後の苦しみと夫のモラハラ

子どもの命を手放した苦しみと夫のモラハラ


『私たちが子どもの命を手放した話』の最後のおはなしです。


結婚前にふたりの間にできた子どもの命を中絶によって手放した私たち。


今回は、中絶によってもたらされた苦しみと歪んだ私たちの関係性、夫のモラハラについておはなしいたします。

 

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止まらない焦燥感

 
しばらくの間、
私の心身がどうであれ

両親を安心させ

迷惑をかけてしまった職場の同僚や上司に謝罪を重ね、

早く自身を日常の軌道に乗せなければなりませんでした。


でも


笑顔で元気いっぱいを装いながらも

まだ身体には妊娠症状の名残があり、心には悲しみと罪悪感が色褪せることなく染みついていて、

自分の中にできた大きな溝を埋めることができずにいました。


夫はというと、

私の記憶では感情の揺れなどは見受けられず、まるで〝子どものことはすべて私の妄想だったのではないか〟と思ってしまうほど、以前と変わらない穏やかで朗らかな空気を纏っていました。


分かりやすく冷たくされるよりはよいのかもしれませんが、夫の〝無の状態〟はあまりにも完璧であり、経てきた事の重さを思うと少しだけ不安や違和感を抱きました。


夫は中絶手術の約1週間後に林間学校の行事を控えていました。

別の行事の際に、一眼レフカメラで生徒を撮影していた同僚の先生に対抗心を燃やしていた夫は、私を連れてすぐに家電量販店に買いに行きました。


まだ手術を終えて間もない私にとって、人の多い店の中で長時間過ごすのはしんどかったのですが、真剣にカメラを吟味する夫の邪魔はできませんでした。


夫は帰宅してからもカメラに夢中。

とても楽しそうでした。


私はそのときにぼんやりと考えていたことがあります。


夫は、私が妊娠してから中絶するまでも絶えず〝教師〟という立場の日常があったわけです。

そして、

今もそれは当然続いていて、この先も変わらない。


私たちの子どもがいなくなっても
私が心身傷ついていても

社会は絶えず動いている。

夫には教師としての立場と使命がある。


だから、

夫は私の心を待つことはできないし、
私は夫を待たせてはいけない。

〝過去〟に囚われている場合ではないのだ。


私は、子どものことに関して〝無関心・無表情〟の夫に違和感を抱いた自分を責め、すぐに心を改めました。


〝無〟を見せることで、
私に負担をかけないようにしてくれている。

環境に流されず、教師の仕事に真摯に取り組んでいる。


そう考えた私は、

少しでも夫を歪んだ視線で見てしまったことを恥じました。


目の前ではしゃぎながらカメラを構える夫


そんな夫を見ていると、ものすごい焦燥感に襲われました。


〝夫は既に前を見ているんだ〟


夫を信じて前を向くと決めたのに、私の心身はまだ立ち直れず悲しみから抜け出せないでいる。


このままでは、
置いて行かれて夫の背中を見失ってしまう。


私は、早く元の自分を取り戻し、前を向かなくてはと必死でした。



妊娠してからの夫は明らかに冷たく、
まるで他人事のような振る舞いだった


今の私は、あの頃の夫が非情であり、人として非常識だったとはっきり断言することができます。


しかし、あの頃の私は

自分の心身の傷を〝ダメなもの〟
それを拭えない自分を〝ダメな人〟と捉え

すべての矢を自分に向けるような思考をくり返していました。

夫の裏切りとひどい仕打ち

 

中絶というつらい経験をしても夫についてきたのは、壊れてしまいそうな自分に一縷の希望をもたらした夫の言葉を信じたから。

そして、

誠実であたたかく頼もしい人柄を慕い、愛していたから。


まさか、それがモラハラ加害者特有の異常に良い外面、激しい二面性だとまったく知らなかった私は、それが夫の真の姿だと思っていました。


そのため

中絶をめぐる夫の冷酷さにはものすごくショック受け、その後もなんとなく孤独感を煽るような心無さを感じることもありましたが、夫を一方的に悪者だと決めつけることはしませんでした。



中絶から4か月後、
夫から正式なプロポーズを受け

子どもとお別れした日からちょうど1年後、私たちは結婚しました。


ここまでくるのにいくつもの迷いと嘆き、葛藤を乗り越えてきたので、夫と結婚できたことは本当に幸せで夢のようでした。


新しい生活
新しい家族
あたたかい家庭


これからはきっと
今度こそ

心の傷は少しずつ癒えていくのだろうと思っていました。



しかし、現実はまったく逆。

結婚後はさらに傷がえぐられていきました。



つらい場面や感情のフラッシュバック

惨い展開、悲しい結末の悪夢

痛みを伴った動悸、息苦しさ、止まらない涙



それらは度々私の心身を襲いました。


夫にはなるべく黙っていましたが、夫の前でもフラッシュバックしてしまうようになり、何度も醜く情けない姿を晒しました。


そのきっかけは大抵、

日常の中にちりばめられた夫の心無さや

モラハラによる冷酷非道な言動や態度でした。



いつまでも悲しみに暮れていようなんて思っていませんし、いつもいつも子どものことを思って泣いているわけではありません。

でも、

どんなに頑張って明るさと前向きさでガードしていても、時に心が弱ったり穴が開いてしまうこともあります。


そういうとき、

私には苦しみを打ち明けられるのは夫しかいません。


苦しみを夫に知ってほしい
悲しみを受け止めてほしい
優しく励ましてほしい


これが私の本心。

本当は夫に支えてほしいのです。


上手い言葉などいらない

少しでいいから、夫のあたたかい心に触れて安心したかったのです。


しかし、夫はそんな私を


「ダメな人間」だと罵り、

「甘えんな」と乱暴に突き放し、

「俺を不愉快にさせた」と非難し謝罪を要求しました。



結婚前、私を守ると言ってくれた夫は、

私の心に寄り添うことも、手を差し伸べることもありませんでした。


さらに、

私を黙らせるため
私に勝つため
私を思い通りに従わせるために


夫は、私が傷つくことが分かっていてあえて子どものことを持ち出し、モラハラの道具にしていたと思われます。


夫の思惑通り激しく感情を揺さぶられ、理性が飛んでボロボロになった私を夫はさらに徹底的に潰すのでした。


子どもを失ったことは2人で共有する過去だと思っていましたが、夫は最後まで子どもの命と私に正面から向き合うことがありませんでした。

手放した命への思い


手放した子どもへの思いは、何年経っても変わることはありません。


夫の無謀な要望を断れなかった自分

〝一人でも産む〟という選択をしなかった自分


結局、私は私を守り
子どもの命を犠牲にしてしまいました。


「妊娠したのはおまえも同罪だよね」

「そんなに産みたきゃ一人で産めばよかったのに」


かつて瀕死の心に放たれた夫の言葉の数々は、今も私の心をきつく締めつけます。


さらに、


私が母でなければ生かされたはずの命

私のせいで許されなかった命

私の子どもでなければ祝福されていた命


夫家族から〝否〟を突きつけられた私のせいで妊娠は〝罪〟となり、産むことは〝悪〟とされてしまいました。


私の中で生きようとしてくれた子どもを暗く悲しい場所に追い込んでしまったことへの悔恨の思い、罪悪感が止むことはありません。



酷いことをしてしまった私なのに、小さな命は私に優しい贈り物を残してくれました。


私をお母さんにしてくれたこと

愛おしいという気もちを教えてくれたこと


これらは私の宝物です。


夫と子どもと・・・私。

3人で手を繋ぐという夢は叶えられませんでしたが、〝いつか、子どもに会いたい〟という思いがあったから私は前を向いて頑張ることができました。


今も、子どもへの「悲しみ・後悔・罪悪感・感謝」はどれも私の心で生き続けており、この出来事を〝過去〟に葬ることができません。


この経験を通して知ったあらゆる感情や感覚、戒めも含めて教えられたことを大切にし、余すことなくこれからの人生に活かして歩んで生きたいと日々思っております。

さいごに


これで、私たちが子どもの命を手放した話はひとまず終わりです。


私たち夫婦の稚拙で身勝手な過去、自身の愚かさや弱さをさらけ出すことには勇気が要りましたが、今後も私たち夫婦のこと・夫のモラハラを語るためにはどうしても避けられないテーマだったのでおはなしいたしました。


これからまた、

夫と過ごした日々とモラハラについて少しずつ綴ってまいります。

 

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