妻、やめます。

モラハラ夫と過ごした日々の回想録

モラハラを受ける素質〜毒親と私の場合

なぜ、モラハラを受けてしまうのか?


私が別居を決行し、
周りの親しい人たちに夫のモラハラについて打ち明けた時の反応は


「どうして言わなかったのか」

「どうして逃げなかったのか」

「どうして我慢していたのか」


〝どうして〟のオンパレードでした。


私はどうしてSOSを出さなかったのか?


今回は、
モラハラを受ける妻の心の特徴や問題点についてのおはなしです。

 

 被害者妻の心の中で起こっていたこと


モラハラを受け続ける日々。

妻の心は何を思い、考えていたのか。


結婚前の私は

存在していただけで夫の家族に一方的に嫌われ、5歳年上のために非難され、妊娠・中絶により心身に傷を負いました。

 

nanairo-r.hatenablog.com

 

それでも

そんな私
を「必ず守る」と言って結婚してくれた夫。

逆境を乗り越えて一緒になってくれた人。


感謝でいっぱいでした。


私は、おなかの子どもの命を犠牲にしなくてはならないほどダメな人間だと認定されたわけです。そんな人格否定をされるような私を救おうとしてくれる夫をとにかく幸せにしなくてはならないと思いました。


夫の希望・要望に精一杯応え、

夫のうれしい・楽しい・心地良いのためにフル稼働でした。


やがて夫のモラハラ行為が本格化して、あまりにも露骨に嫌がらせととれる態度や言葉が繰り返されるようになると、私は夫の豹変ぶりに動揺し、夫から〝嫌われた〟〝飽きられた〟と感じるようになりました。


やはり私はダメなのか。

夫の求める女性像でいないと〝捨てられる〟という強迫観念に囚われるようになりました。



もっともっと、良い妻にならなくては。

さもないと
夫から見捨てられてしまう。


夫にふさわしい妻になるため、底なし沼にはまるように正解のない答えを探し続けました。

モラハラ被害者の特徴

  • 自己肯定感が低い
  • 我慢強い
  • 責任感が強い
  • 献身的

などがよくあげられています。


夫のモラハラについて調べているうちに、モラハラ被害者の特徴にあげられる性質は、幼少期からの成育過程における親の影響が大きいということ、

また、

このように子どもの心の成長に悪影響をもたらす存在を【毒親】ということを初めて知りました。


そして私は、そんな毒親に育てられた子ども【毒親育ち】だったことに気づきました。


私がモラハラ被害者になった原因は
 
幼少期からの成育過程で被害者の素質を身につけてしまったこと。

そして、さらに夫のモラハラによって
もともと健全だった部分の心をも激しく損傷し、洗脳・支配されてしまったこと。

妻の人生履歴からわかること


〝毒親〟という言葉は知りませんでしたが、過去から今現在までの親との関わり方における自分の心には闇のような部分があることは何となくわかっていました。


毒親の特徴と言われているものの中から、自分の経験に当てはまるものをいくつかあげていきたいと思います。

 

両親の不仲

私の一番古い記憶は両親の喧嘩です。

激しい怒号や暴力の飛び交う地獄絵図のような光景を幼少の頃からいくつも見てきました。


小さかった私は恐怖で泣き叫び、

大きくなった私は両親の間に入り、双方の非難や怒りに撃ち抜かれながら盾となるのです。



抗っても理不尽に巻き込まれ、

公平に事態を整理しようとすると双方から〝敵だ、味方だ〟と激しく責められ、恨まれ憎まれることになりました。



私はただの駒です。



両親双方からの悪口のサンドバックとして

それぞれの代弁者として

不穏な空気の緩衝材として


心を犠牲にし、体を張りました。

 


両親の喧嘩は大きなトラウマです。

幼少の頃からずっと、両親の間に流れる空気が気になって仕方ありませんでした。常に緊張や不安・恐怖にさらされ、心から安心できる場所はありませんでした。

自己主張を許さない母

小さい時の私は、好きな色も言えないくらい心が不自由でした。


自分の心の通りに選ぶと母から非難・否定されるので、あらゆる選択に恐怖心がありました。今でも何かを選択する場面では、心にブレーキがかかる感覚があります。


顔色を窺いながら、
さも私の心が選んだように演技をしてしまう癖がつきました。


着たくない服
行きたくない塾
辞めたくない習い事

など


わがままではなく、子どもながら私にはちゃんとした理由がありましたが、母は頭ごなしに怒鳴るだけで私の気持ちを聞いてくれることがありませんでした。


私は恐怖と絶望で委縮してしまっただけなのですが、両親は私のことを大人しくて聞き分けがいい子、手がかからない子だと思っていたようです。


中学に入ったあたりから友だちや環境に恵まれ、外では楽しく自分を解放できるようになりましたが、そのぶん母とぶつかることが増えました。


半分大人になりかけている年頃です。

否定される自己主張に対し、筋の通った答えを求める私に母は、納得できるような理屈も根拠もない歪んだ価値観を乱暴、かつ攻撃的にぶつけてくるだけでした。


私が母の意に沿わない自己主張をすると母は、はげしく怒る・困惑する・体調不良になる・寝込む・死にたいと言う、というようなことをくり返しました。


自分の主張は母をこんな風にしてしまうほど酷いことのなのだろうか。
私の思い・考えは人を不幸にしてしまうのか。


私は自分への恐怖や罪悪感を感じることが多々ありました。

過干渉で支配的な母


〝心配〟を盾にして過干渉

〝愛情〟を盾にして支配


母は娘の健全な自立心・向上心を徹底して潰し、時間・空間の自由を奪いました。


私は危険を冒そうとしているわけではなく、ただ普通に社会生活を送り、恋愛をし、心を豊かにするべく自己表現したいだけです。


それに対して母は

「お願いだから心配させないで」


「母の愛だと思ってよく考えて」

「親の愛情がわからないの」


〝愛〟〝親〟というワードを持ち出し、人の心を徹底的に無視して自身の心を満たそうとするのです。


〝幸せになってね〟と言いながら、

そこには見えない母の足かせが繋がれていて、私は何をするにも母の存在を意識せざるを得なくなりました。


好き嫌い
暑い寒い
いるいらない


私の個人的な趣向も母が勝手に決めつけました。


「暑いからいらない」
「何言ってるの寒いでしょ」


「それは好きじゃない」
「何でよっ。じゃあこれどうすんのよ」


拒んでも拒んでもやめてくれません。


母からまったく好みではない服を強引に押し付けられ、自分の好きな服を着ていると文句を言われ(理由は母が見飽きたから、など)、私は毎日母の反応にドキドキしながら服を選ぶようになりました。


自分でもおかしいと思いますが

たまに母に服を褒められると、ものすごく安心する自分がいます。

 

母は、自分は子どもを心から愛し、身を削り全身全霊を捧げてきたと言うと思います。

 

母への感謝の気持ちはもちろんあります。

母が子を思う気持ちというのも理解できます。

 

しかし、

母の心配や干渉は愛情の域には属さない別物でした。



子どもの心をないがしろにし、母自身の心の隙間を埋めて欲求欲望を満たすための偽物の愛情でした。

 

娘を利用する母

母は日頃から父の悪口を私に吐き出します。

※父も私と2人だと母の悪口を言ったり、外で母に恥をかかせるということをします。


母の一方的な父の悪口に感化された私は母に同情し、父への怒り憎しみが湧きました。私を味方につけた母は、父の前で


「ムギコもあなたが悪いって言ってるから」

「ムギコも言いたいことあるでしょ。言ってよ」


と、発破をかけられた私は母を守らなければならないという使命感でいっぱいで、父を罵って責めます。


後から母は私にご褒美をくれます。


「ムギコがいてくれてよかった」

「ムギコだけが分かってくれる」



そう言われると、

私は役に立てた、認められたような気がしてうれしかったです。


ところが、

母は私を利用した挙句、何度も裏切り突き放しました。


喧嘩後、私は母を傷つけた父を許せないことや争いの修羅場のイメージが脳裏に焼き付いて心が不安定です。

そのようなときに母が


「今日みんなで外に食べに行くから」

「明日お父さんと買い物行って来て」


などと言うのです。


お互いに人格を否定し合い、身の危険も感じるような争いの後です。さすがにそれはおかしい、問題は解決したのか、と母を追及すると


「だって家族でしょ」

「わがまま言わないで」

「じゃあ私にどうしろって言うの」

「それって人としてどうなの」


あんなに父を罵った母は何だったのか。

私が母のためにしたことは何だったのか。


割り切れない私の心がだめなのか?


最後はいつも

私の心だけ置いてけぼりにされてしまうのです。


毎回、父に絶望した母から頼られ、
突き放せば


「ムギコは冷たい」

「もういい、ムギコには今後一切話さない」

「ムギコのためにいろいろしてきたけど、最後はこうか」


のような言葉で非難され、私は罪悪感や見捨てられる不安にさらされてしまいます。


母を庇っても突き放しても、私は孤独に陥ります。



長年このようなことをくり返してきました。


母を信じ、父を信じ、裏切られ、許し、また信じ、、、と、少しずつ心が削られてきました。

それでもまた、家族のために身を差し出すことを要求されるのでした。

自己愛が強い母

母は、自分は〝いつも正しい〟〝誰よりも優れている〟〝すばらしい人格〟だと、1ミリも疑うことなく信じています。


また、自分が周りに理解されないのは、

周りの人の程度が低く、自分の崇高な心についてこられないから、という考えももっています。


私が嫌がっても抵抗しても自分の信念を強引に押し付け〝良いことをしてやってる〟という恩を着せてきます。


また、母は共感ができません。

常に自分の軸を中心に据えて生きているので、私は自分の心を本当に理解してもらえたことがありません。


私は、父にも母にも

安心して心を開くことができませんでした。

 

罪悪感を与える母

母は自分が少しでも否定されると、異常に反応します。


大泣きして耳をふさぎ、
怒鳴ってわめいて逃げてしまうのです。


人を批判するときは徹底的に相手を逃しませんが、自分のときは絶対まともに向き合いません。


「どうせ私が死なないと分からないでしょ」


「あんなに守ってやったのに」

「いろいろ買ってやったのに感謝がない」

「どうせあんたは私のこと恨んでるんでしょ」


「感謝してる。これはまた別の話だ」と言っても、取り乱した母はまったく聞く耳を持ちません。



さらに追い詰められると、親子の絆・親への感謝などの正論を持ち出し、私の良心や罪悪感を煽りました。


私は、自分の訴えは正しいと思いつつも、母の尋常ではない姿や行動に遭うと人として間違っていることをしているのかもしれないと自分を責めてしまうことがよくあります。

 

父はどうか

主に母のことばかり書いてしまいましたが、父の場合は母と逆で、子どもにあまり関心がありませんでした。


日頃は自分を出さず、何を考えているのかわからない不気味さがあり、いざとなると暴力や怒声で周りを怯えさせました。


父は恩着せがましいことは言いませんが、自分の立場が悪くなるとあっさり身内を裏切って保身するようなところがあり、私はしばらく心の傷から立ち直ることができませんでした。




ここまでいくつか親子のエピソードなどをあげましたが、いろいろ思い出されて書ききれません。


家族の不具合は毎日絶え間なく続きました。

子どものやわらかい脳や心にどれほどのダメージであったことか。


私は健全な子どもの心、無条件に愛されるということ、本当の安心を知りません。
本物を知らずに、求め続けて大人になりました。

母親の洗脳


母が私によく言う言葉は

  • 人生は苦しい

  • 人生はつらい

  • いいことなんてない

  • 男なんて

私がどんなに楽しく明るい話をしても、母は素直に受け止めず「でも〇〇だよね」と、負の要素を強引に入れてきました。


母の人生が大変だったということは理解しているつもりです。

でも、

その母の不幸な人生の中には娘として私も存在しているので、人生を全否定されると、私にも母を不幸にしている一因があるように思われ、申し訳ない気持ちになりました。


〝ムギコは私に似ている〟

これも何度も母から言われた言葉です。

この言葉をくり返し伝えられることで、私の心は母の思いのままに洗脳されていました。


ムギコは私に似ている

性格も体質も、人生も


私は母と同じ痛み・苦しみを味わう人生なのだと刷り込まれました。

母は今もしあわせではない。
だから、私もしあわせにはなれない。


ムギコは私の悪い因縁を受け継いでいる



そう教えられ、私はずっと怯えていました。
それを断ち切るには、自分に与えられた使命・役割を果たさなくてはならないと言う。


私は自然と両親・家族のしあわせのために生きなくてはいけないという答えにたどり着きました。


だから、どんなに苦しくてもつらくても〝両親のしあわせを見届ける〟ことを果たすまでは自分のことは望んではいけない。


私は母の思い通り、母の目の届く場所で母のために時間と心を費やすことになりました。

できあがった妻の人格と結婚生活への影響


私は悪い因縁を背負った人間。


何かを犠牲にしなくては

何か傷を負わなければ

何かを失わなければ


私には当たり前のしあわせはない。


私は〝自分らしく〟〝自分本位〟に生きることを望んではいけないと思ってきました。

 
私の人生において
 
誰かに頼って負担を与えるのは悪であり、
誰かの役に立てないなら、それは私にとっては死と同じ。
 

必要とされ、役に立てることがしあわせだと思いました。
 

常に〝自分の役割〟が頭から離れないのです。
 


夫との結婚生活がどんなに自身の心を傷つけるものであっても、それは私が夫としあわせになるために当然組み込まれている試練なんだと思いました。

乗り越えなければ
耐えなければ

私は人並みのしあわせを得られないのだから、絶対に逃げてはいけなかったのです。


無条件に愛される

何もしなくても許される

絶対の安心


私には無縁だと思っていました。

無防備に望んでもいけないと思いました。

 

モラハラの連鎖からの脱却


あらためて振り返って驚くのは、
父と母、夫が似ていること。

父の中に
母の中に
夫がいて


夫の中に
父と母がいる


私は相手を変えながら、

常に同じ役割を背負い心身を消耗していたのです。


夫と心が交わせない悲しみ

夫の言動・態度への恐怖

夫のもたらす空気への緊張

捨てられるかもしれない不安


これらすべて、
小さな私がずっと抱いてきたものと同じです。



モラハラ加害者だけでなく、モラハラを受ける被害者もその要因が幼少期の親との関わり方に問題があるという事実は、私にとって大きな衝撃であり、まだ心の整理はついていません。


私も夫も根は同じだった


以前、モラハラをする夫の向こうに夫の寂しさや悲しみがあることに気づいたのは、私も夫と同じものを持っていたからかもしれません。私も全体的には被害者でありつつも、逆に夫の弱い部分を傷つけてしまったことは否めません。


別居し、今は実家にいますが、
やはり家族は同じことをくり返しています。


長い時間をかけて育まれた思考や人格を変えることは容易ではありませんが、今気づいたことをきっかけに、できるかぎり自分を変えていきたいと思っています。


すべてはすぐにうまくいかないと思います。

とても苦しい作業だと思います。

でも、

自分がしあわせになるために

誰かをしあわせにできるように


これから、がんばってみたいと思います。


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