結婚前にモラハラ気質を見抜くことはできるのか?
モラハラ夫は結婚したり、子どもができるなどして相手が簡単には自分から逃れられない状況になってから本性を現し始めるのが一般的だとされています。
私の夫も結婚してから明らかに別人のようなモラハラの顔を出すようになりました。
以前、『見抜けなかった夫のモラハラ気質』というおはなしの中でも書きましたが、
モラハラ加害者には『異常な外面の良さ』『激しい二面性』という特徴があり、夫もおつきあいしている間は〝ものすごくすばらしい彼〟であったため、モラハラを疑うことがありませんでした。
結婚前にモラハラ気質は見抜けない
これが、モラハラ夫の一般的な特徴です。
しかし、
ネットなどで〝モラハラ〟を検索していると
〝結婚後に豹変するモラハラ予備軍の特徴〟
〝こんな彼氏には将来モラハラの可能性が〟
といった内容の記事も見られます。
これらを読んでいると、
〝あれ?そういえばこんなことあったな〟
と思うようなエピソードが結構あることに気づきました。
〝あまり気にして無かったけど、少しひっかかった〟
このような何気ない〝少しひっかかった〟という感覚を手繰り寄せていくと、もしかしたら『結婚前にモラハラ気質を見抜く』はまったく不可能ではなく、自分の身を守ることができていたのかもしれない、と思いました。
今回は、結婚前のモラハラ夫の特徴とされているものを挙げながら、私が感じた夫への〝かすかな違和感〟〝小さなひっかかり〟エピソードをおはなしいたします。
また、そこから『結婚前に夫のモラハラ気質を見抜けるか』について、私の考察も重ねていきたいと思います。
結婚前のモラハラ夫の特徴と夫の〝少しひっかかる〟エピソード
愛情がとても深い
確かに夫は愛情表現がストレートで、
言葉でも態度でも躊躇なくたくさん好意を伝えてくれました。
とてもしあわせでしたが、少し困ってしまうこともありました。
会う約束をしていない日に私の職場にくる
ほぼ毎晩、深夜に電話をかけてくる
忙しい合間を縫って私との時間を作ってくれる夫の心は素直にうれしかったのですが、やや強引なこともありました。
不幸話で同情を引く
「俺を好きでいてくれるのはムギコだけだよ」
「俺みたいなゴミでもいいの?」
夫は自らをひどく卑下した言い方をすることがありました。
また、私はあまり聞きたくなかったのですが、元カノとの悲しいエピソードや報われなかった恋の話などをしていました。
私はそれらに同情することはありませんでしたが〝とてもオープンで素直な人〟という印象を持ち、その人柄をより好意的に捉えていました。
とにかく外面が良い
結婚前は外の人だけでなく私に対してもいつも丁寧で優しい人だったので、外面が良いというよりも
〝誰に対しても素晴らしい対応ができる人〟
〝裏表のない人格者〟
という印象でした。
夫の姿を通し、職場の教師や生徒からも慕われ親しまれている様子が感じ取れたり、私の家族に対しても細やかな心遣いをしてくれていました。
少しひっかかるといえば
あまりにも人が良すぎて、外からの声を無視できず〝NOと言えない〟〝何でも一人で背負ってしまっている〟という印象がありました。
友だちがいない
夫には親しい友人が一人もいないようでした。
過去の話の中にも日常生活の中にも具体的な友人の名前が出てくることはほぼありませんでした。
声をかければ繋がれる人はいたのかもしれませんが、何となく夫自ら交流を遠ざけているようにも見えました。
親や家への執着が強い
夫は両親や家に対する執着がとても強いように見えました。
将来のことや夢・目標を語る時、夫は
〝俺は長男だから〟
〝俺が家を継ぐ〟
まるで機械のように、これが自分の人生の目的のすべてであるかのような発言を繰り返しました。
俺の親、祖父母はすばらしい
俺の家は正しい
夫の言葉からは親と家へ篤い尊敬と忠誠心が伝わってきました。
少し違和感を抱くことはありましたが、
当時の私は、これがモラハラ夫を育む家庭特有の親や家族による支配や洗脳だとはまったく分からなかったため、夫は親孝行で責任感が強く、固い信念を持っている人なのだろうと捉えていました。
話し合いを避ける
夫はケンカの後始末や解決、真面目な話を避ける傾向がありました。
「俺はもうその話はいいよ」
「まあさ、お互い仲良く楽しくやろうぜ」
結婚後のモラハラのように分かりやすく無視や凄んで拒むのではなく、明るく和やかな空気で話を逸らしました。
私は何となく消化不良でモヤモヤするのですが、夫のやわらかい拒絶を受け続けていると、
〝私の器が小さいのかな〟
〝私が大人気ないのかな〟
〝神経質だと思われるかな〟
などと気にしてしまい
夫の大らかな心に感謝しなきゃいけないな、と自分の心を改めてしまっていました。
結婚を急ぐ
夫は出会ってから2回目のデートで〝結婚〟を口にしました。
「つきあう人は結婚する人と決めている」
将来は実家に戻って家を継ぐと言い、結婚したら着いてこれるかどうかを問われました。
あまりに急な展開に驚いたものの
とても真面目で誠実そうな人が真剣に語る様子に〝相手を支配する〟という恐ろしい思惑があるなんて到底思いつきませんでした。
避妊しない
つきあって半年以上経った頃、夫は急に避妊具を外したいと言い出しました。
本来、この時点で嫌悪感や不信感を抱くのが当然かと思われますが、私はそれまでの夫の誠実な人柄に好感を持ち、まっすぐな言葉や態度を信頼してきていたため、夫からの身勝手な申し出に対する警戒心が薄くなっていました。
「ムギコは俺の子どもほしい?」
「子どもが生まれたらさぁ・・・」
「将来子どもには〇〇させたいよね」
そもそも結婚前提のおつきあいであり、日頃からこのような言葉をかけられたりしていたので、私は夫の身勝手な要望を〝悪〟と決めつけることができませんでした。
さらに、夫が私のことを真剣に考えてくれているのにこれを拒否したら〝嫌われてしまうのではないか〟〝失望されるのではないか〟という弱い心が働いてしまいました。
プライドが高い or 劣等感が強い
夫は私の過去の恋愛についてとても知りたがりました。
私はあまり話したくなかったので、かわしたりはぐらかしていました。
夫は私から強引に少し聞き出しては、自分と過去のどちらが上か下かを確認して競っているようでした。
また、何気ない会話の中で急に
「俺、今ムギコの手のひらで転がされてる気がする」
というようなことを言われたことがありました。
冗談っぽい言い回しでしたが、
ほんの少し目の色が変わったように見えました。
その後はすぐにいつもの穏やかな夫に戻ったので、それ以上深追いはしなかったのですが、見たことのない夫の表情に少し驚きました。
それまで、夫を馬鹿にしたことや見下したことは一度もないのですが、夫は私の言葉か態度に何かプライドを汚したり劣等感を刺激するものを感じたのかもしれません。
支配欲?
これは結婚前のモラハラ夫の特徴にあった項目ではないのですが、当時少しだけ気になったことがあったのでご紹介します。
「ムギコはいつもニコニコしてるね」
「ムギコはなんでいつもそんなに優しいの?」
「ムギコはすごいね。嫌なこととかないの?」
私は普通に夫に接していたのですが、夫は日頃からやたらと私の笑顔や優しさ、穏やかさについて褒め称えました。
あまりにも大げさなに言うので〝変なの~〟と軽く流していました。
それでもやはり夫が褒めてくれるのは素直にうれしいので、夫の期待に応えようとより明るく優しい自分でいようと思ったことを覚えています。
今になって思うことですが
夫はこの時、私が本当に従順な人間かどうかを確かめたり、〝従順〟であることを植え付けようとしていたのかもしれません。
結婚後の夫は、私が少しでも表情を曇らせたり、負の感情を見せるとものすごい嫌悪を示して非難し、突き放してきたからです。
結婚前に夫のモラハラ気質を見抜くには
結婚前のモラハラ夫の特徴とされているものと、私の夫のエピソードをいくつかご紹介しました。
基本的にモラハラ夫は、
結婚や妊娠などで相手が自分から簡単に逃れられない立場となり、支配できるようになるまでは完璧な外面で良い人を装い、相手の心を掌握しようとします。
なので、
やはり結婚前にモラハラ気質を見抜くのはとても難しいと思います。
しかし、
夫の言動や行動・態度を注意深く振り返ると
私の状況や心情を考えずに自分の欲求を通していたり、なんとなく違和感を抱くような行き過ぎた主義・主張にモラハラの片鱗を見せていたように思います。
ほぼ完璧で魅力的な自分を演出することに全力を尽くしている人からモラハラ気質を見抜くのは容易ではありませんが、この『違和感』を無視せずに立ち止まることが大切なような気がします。
そして、
その『違和感』を無駄にしないよう、『自分の心・感情』に素直になること。
『違和感』
『自分の心・感情』
これらに向かい合うことができれば、もしかしたらモラハラ夫の元に飛び込む危険を回避できるかもしれません。
モラハラを見抜けなかった私の問題点
『違和感』を無視せず、
『自分の心・感情』に素直になることが大切
先ほど、そう書きましたが
これは私自身の大きな問題点と反省がベースとなっています。
私は典型的なモラハラ被害者の特性を有していました。
自己肯定感の低さ
自信のなさ
これらが人格の根底にあることによって、私は夫のモラハラ気質を見抜けないだけでなく、その後モラハラを助長させる材料を与えてしまっていたのです。
いわゆる〝毒親育ち〟の私は、
何か犠牲を払わないとしあわせになれない
という考えで生きてきました。
私には困難や苦労があって当たり前
自分がどうあれ、人のためにならなくては生きる資格はない
〝自分を大事にすること〟は悪いこと
この思考が私の問題点です。
とても良い人が私を愛し、大事にしてくれている。
違和感を抱いた程度で相手を斜めに見るなんてしてはいけない、と純粋な感情にブレーキをかけてしまっていました。
自分の本音や自然な感情・感覚を抑え込むことが当たり前になっていたため、私は夫に抱いた『違和感』や『ひっかかり』も〝いけないもの〟〝あってはならないもの〟として心から排除していたのだと思います。
その答えは〝自分を大切にする〟と見えてくる
『結婚前に夫のモラハラ気質を見抜けるか』
その答えは
自分が自立した健康な心を持っているか
自分の心・感情を大切にしているか
それらが自身の中で無理なく自然にできるかどうかによって、その答えは変わるのではないか。
上記に挙げた特徴が一つでも当てはまったからといってすべての人がモラハラとは言い切れませんし、逆にすべて該当しないからモラハラではない、とも言い切れません。
パートナーが自分に向ける
その言動
その行動
その態度
それらが自分の心にどう届いたか、どう響いたかをしっかり感じ取ること。
それらの色や形や肌触りは自分の心や身体に何をもたらしているのかを素直に受け取ること。
なんで心がざわざわするんだろう
なんで少し胸が痛むのだろう
あの言葉の意味はなんだろう
違和感を抱くことは罪ではありません。
こんなに良い人だから私を傷つけるはずはない、疑問を抱くのは申し訳ないなどと思い込まず、素直に感じたものならば
自身の感情とじっくり向き合ってみる
パートナーに話してみる
客観的な見方も探ってみる
その上で得られたものを自分軸に通し、違和感の質を判断していくことが結婚前に夫のモラハラ気質を見抜く可能性を広げていくのではないかと思います。