妻、やめます。

モラハラ夫と過ごした日々の回想録

私たちが子どもの命を手放した話①〜妊娠とそれぞれの心

妊娠によって明らかになったふたりの心のちがい


私たち夫婦は結婚前に尊い子どもの命を手放しました。

 

愛し合っているはずの私たち

将来を約束していたはずの私たち

 

そんな私たちがなぜ、

2人の間にできた子どもを中絶するという結末を迎えてしまったのか。


今回は直接モラハラがテーマの話ではないのですが『子どもを中絶した過去』は夫のモラハラとそれによって私の心が壊れていったことを語るのに避けて通ることができないテーマなので、おはなししたいと思います。


※今回のはなしは、人によってはとても不快に感じられることもあるかと思われます。
私自身もまだ心の整理がつかず、悩み苦しみの中にあり自問自答をくり返している状態です。さまざまなご意見ご感想があるかと思いますが、当時のありのままの出来事・思いをおはなししたいと考えております。
どうか、温かく見守っていただくか、こういう例もあるということで反面教師として捉えていただけると幸いです。ご了承ください。

今も拭えない傷みと悲しみ


私は夫とお付き合いして7ヶ月ほど経った頃に妊娠、そして中絶しました。


子どもを産みたかった私は必死に訴えましたが、その思いは夫と夫家族によって強固に阻まれ、かなえられませんでした。

その後、

心身の傷を抱えながらも
私は夫を信じ、明るく前向きな心をもって結婚しました。


過去を恨まず、人を憎まず

愛する夫と新しい家族、新しい環境のなかで生活をしていくというまぶしい希望にすべてを託して心を入れ替えたはずでしたが、実際は人には言えない苦しみに悶え続けていました。


度重なるフラッシュバック


そのタイミングはさまざまで、急激な不安や罪悪感、悲しみに襲われて動悸や涙が止まらなくなったり、そのようなことを夢を見ることも何度もありました。


周りの人々、そして夫にも迷惑や余計な心配をかけたくなかったのでなるべく感情を抑えていました。


しかし、時にこの苦しみに苛まれた自分をコントロールできず、特に夫の前では感情があふれてしまうことがありました。


夫は私にとって一番そばで信頼し寄り添っているひとです。


ところが

そんな夫が露骨に面倒そうな態度を示して突き放したり、さらに冷酷非道な暴言を吐いて私の壊れた心をさらに粉砕するのでした。


夫のモラハラはどれも酷く辛いものでしたが、

その中でも私が〝理不尽な中絶〟という心身に深い傷を負ったにも拘らずぶつけられる『子ども』に関わるモラハラは特に、私の中の理性や常識のたがが外れて荒むほど非情でした。


私は今、夫の元を離れたことで

『モラハラ』を客観的に理解し、
被害者の自分と加害者の夫について冷静に振り返って考察できるようになったり、

ひととき緊張や恐怖から解放され、傷ついた心もまずはだいぶ落ち着いています。


しかし

子どもを中絶して失った傷みや悲しみ苦しみは今も乗り越えることができず、たびたび押し寄せる感情の波に抗うことができずにいます。


子どもの命を守れなかった罪悪感


それは、夫からぶつけられてきた冷酷非道な暴言によって私の心に大きく根を張っています。

夫の言葉は亡霊のように私の頭に棲みつき、拭い払うことができません。

妊娠がもたらしたよろこびと悲しみ


妊娠したとき、私は35歳でした。


とても驚きましたが、
素直に嬉しかったです。


この年齢で自然に妊娠できただけでも奇跡だと思うのですが、それだけではなく、若いときから婦人科系の病気があったり右の卵管にやや難ありで妊娠しづらいと聞いていたからです。


とはいえ、妊娠のよろこびを本当に実感したのはしばらくしてからで、最初に妊娠が分かったときはものすごく動揺し、夫に恐る恐る電話しました。


私が妊娠を伝えると

 

「ごめん」


夫の暗く沈んだ声が聞こえました。

私は一瞬で夫の意思を悟りました。


「そうだよね、ごめんね!すぐに病院行ってくるから!ごめんね!」


夫は黙ったまま。
私はひとりで明るく振る舞っていたと思います。


その時の私は、黙る夫の空気から〝歓迎されていない妊娠〟であり、何だか迷惑をかけているような気がして何度も謝ってしまいました。


電話を切った私は、


〝この状況を、どう、乗り越えるのが正しいのだろう〟


そのようなことばかりに気を取られ、自分の心を考える余裕などなかったように思います。

妊娠はふたりそれぞれの弱さ


妊娠したのには心あたりがありました。

その頃の私たちは順調にお付き合いを重ね、半同棲生活を送っていました。

夫家族からは〝東京の5歳年上の彼女が息子をたぶらかしている〟という誤解をされ、交際に好意的ではなかったものの、真面目で誠実な夫から結婚前提の意思を伝えられてからのおつきあいであり、穏やかに過ぎる日々の中にあった私は、安心と信頼に包まれて夫のとなりにいました。

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そんな折、小さな気がかりといえば〝避妊〟のことでした。


私はどちらかというと古い考えをもっており、漠然と〈結婚してから子ども〉という順番が頭にありました。


それは年齢を経るうちにより意識的になっていました。


妊娠の可能性が低いとはいえ、
やはり避妊をしない性交渉に抵抗がありました。


しかし、
夫は避妊具を用意しようとしませんでした。

恥ずかしい話ですが、なくなりそうになると私がせっせと避妊具を購入していました。


夫はそんな私の様子を楽しんでいるようで、いくら夫にも購入して欲しいとお願いしても聞き流していました。


あるとき性行為の最中、夫が避妊具を外したいと言ってきました。


愛する人の望みには応えたい。

けど、
この理性を無視できない。


そこへ夫が答えを急かします。


行為の途中であり、夫は冷静ではない。
私の返事を待たずとも答えが決まっている様子に、私は夫の望みを拒むことができませんでした。

同じようなことが数回ありました。


妊娠したのは私たちの心の弱さのせいです。


夫は後先考えず、
自らの身勝手な欲望を抑えることができなかった心の弱さ。


そして私は、

拒否したら夫に嫌われるのではないか
引かれるのではないかという思い

また、

夫のことを受け入れていないと誤解されるのではないかという思い


これらがすぐによぎりました。


愚かな自己保身による心の弱さです。


また、一線超えたことを求められ、それを強い愛情だと解釈して信じようとした愚かさも否定できません。


こんな歳で本当に情けないのですが、私が幼少期から培ってしまった自尊心のなさ自信のなさがここで大きなまちがいを犯してしまいました。


夫が本当に私のことを愛していたら、
その欲望を軽率に要求しなかったはず。

私が本当に夫の愛を信用していたら、
しっかりその要求を拒むことができたはず。


それぞれがまちがった欲望・思いに流された結果の妊娠だったと思います。


ここでは余談ですが、

このとき既に私がモラハラの被害者になりうる性質がしっかり表れていたことに後から気づきました。

 

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産みたい気もち


夫の家の近くで産婦人科の良い病院を見つけたので、そこに行きました。


エコーに写ったぼんやりとした小さな丸。


まだまだ赤ちゃんの形ではないけれど命の姿を初めて目にした私の心には、この子を産みたいという気持ちが溢れていました。


でも、

夫との会話とその空気を思い出し、思い切って中絶することを申し出ました。


先生は一切責めず優しく接してくれました。


少し残念そうに「どうしても産めないの?」「本当にいいの?」と言われ、その瞬間に泣き出してしまいそうでしたが「お互いの仕事の都合でどうしても産むことができないのです」と事前に用意した嘘を振り絞って伝えました。


その後、年配の看護師さんに促されて別の場所で中絶の説明を受けました。


中絶手術は体に負担がかかるとのことで、子宮と赤ちゃんの様子で妊娠8週くらいに手術することになりました。


手術まで2週間ほどの時間がありました。

生きようとする赤ちゃんが少し成長してから堕ろすという残酷さに私はさらに胸が苦しくなりました。


説明が一通り終わると、看護師さんが改めて私の顔を覗いていくつか確認や質問をしました。

私は看護師さんの目を見ることができず、

今にも溢れそうな感情の波を抑え「どうしても産めなくて」と小さく答えました。


看護師さんは私の動揺を明らかに察していたのだと思います。


「まだ時間あるからね。ゆっくりよく考えて」

「これ(サイン)今書いたけど、こんなのいつやめたっていいのよ」



「本当は産みたいね」


この時はもう、嘘の言葉を重ねることができず、私は涙でいっぱいでした。

ふたり、それぞれちがう心


私はつわりがひどく、妊娠が分かったのもつわりによる激しい体調不良でした。


毎日、ひどい吐き気や身体に起こるいくつかの不調や変調によって苦しい反面、それが赤ちゃんの「ここにいるよ」と存在を必死に示す声のように感じ、私は新しい命への愛おしさが止まりませんでした。


でも、
私はこの命を手放さなければいけない。


バッグに入った中絶の同意書。
夫からサインをもらわなくてはなりません。


恐る恐る夫に同意書のサインを求めました。


夫はものすごくぶっきらぼうに

「あぁ・・・置いといて」

こちらをあまり見ようとしませんでした。


〝やっぱりもう一度よく考えよう〟という流れを期待し、そのようなことを話そうとしたのですが、夫はそれを察して避けていたのだと思います。


私は夫の冷たい様子に心がえぐられ
黒く醜いものが湧きました。

私は何でもいいから、なにがなんでも夫の感情や言葉を引き出したいという悪い思いに支配されました。


「病院でこのパンフレットもらったんだけど・・・私ピル飲んだ方がいいのかな」


夫にものすごい嫌味をぶつけている自分の性格の悪さに嫌悪感が否めませんが、この時の本心は、夫を責めていたのではなく『悲しみ』でした。


もっと素直に「もう一度話し合いたい」と言えばよかったのですが、夫の冷たい様子にショックが強すぎて真正面から思いを伝えることができませんでした。


心から愛し合っていると思っていた人が、今、背を向けている。


夫からは明らかに苛立ちや怒りのようなものを感じました。



私はこの現実に心が順応できずにいました。



「ムギコが飲みたいなら飲んだら。俺は飲まなくていいと思うけど」


どう解釈したらいいのだろう・・・
よく分からないけど、夫があまり真剣に考えていないことは伝わりました。


おつきあいを始めてからこれまで

夫と同じ思いで過ごし、同じ方を向いて道を歩んでいると思っていました。


しかし、

ふたりの子どもが私のおなかに宿ったとき


愛し合うふたりなら妊娠はふたりの思いがもたらした奇跡のようで、とても輝かしい希望となったとはずが


私たちがお互いを思う心の色や形には大きな違いがあることを知ることとなりました。



この後、
中絶手術にいたるまで

夫と夫家族から理不尽でひどい仕打ちを受け、さらなる傷みと苦しみを味わうことになりました。


このことについては、また次回おはなしいたします。

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