子どもの命と引き換えに結婚を提示した夫
今回は、前回までの『私たちが子どもの命を手放した話①②』の続きです。
一度は子どもを産もうと言ってくれた夫。
しかし、夫家族の反対に遭い、あっけなく決意を翻してしまいました。
私の思いは徹底的にかき消され
理不尽な中絶の言い分を一方的に突きつけられる絶望的な状況でした。
少しずつ夫と子どもとの別れを意識するようになっていた私に、今度は夫から意外な言葉がかけられます。
これをきっかけに、私たちは結婚への道を一歩進めていくことになります。
いくら愛した人だとはいえ、ここまで私の心・子どもの命を軽視するような人と家族になるのは、とても不自然だと思います。
私たちはどうして別れなかったのか。
夫はどのように私の心を繋いだのか。
私の思いと夫の思惑が複雑に入り交じって出したひとつの答え。
そこに至る夫の言葉、私の心を振り返ります。
※今回のおはなしも不快に感じたり、さまざまなご意見ご感想があるかと思いますが、当時のありのままの出来事・思いをおはなししたいと考えております。
どうかご了承ください。
産みたい気持ちと罪悪感
両親に〝子どもを産みます〟という明るい報告をしたばかりでしたが、今度は中絶しなければならないことを知らせるため、実家に帰りました。
落ち着いて事の顛末を話すつもりでしたが、途中で感情が溢れて泣いてしまいました。
その後、なるべく平静を装うものの
一度、娘のよろこびに満ちた声を聞いてしまっている両親には、私の真の心情が筒抜けのようであり、いてもたってもいられない様子が伝わってきました。
「イチオさんから連絡は?」
「ちゃんと話し合ってるの?」
「親御さんは何て言ってるの?」
特に母親からは質問攻めでした。
私は泣いた姿を見せてしまったことを後悔しました。
「今、イチオが両親とちゃんと話をしてくれてるから!」
私は嘘をつき、
気丈に振る舞おうと必死でした。
しかし、
親はすぐに私の動揺と落胆を見抜き、次第に夫や夫家族への不信感を募らせ、言葉に苛立ちや怒りが混じり始めました。
そんな両親を責めることはできません。
結婚前提でまじめにおつきあいを重ねていると聞いていたのに、娘がこのような事態に陥っていたら、両親の心に複雑な思いが芽生えるのは当然です。
私は、このまま両親の心が暴発し、周りを巻き込んで惨事になることを恐れました。
〝私のせいで両親の心を荒らしてしまっている〟
私が〝子どもを産みたい〟と強く願うことで、次々と周りの人から負の感情や言葉を引き出してしまっている。
罪悪感でいっぱいでした。
私が夫たちを庇い、気丈に振る舞い、心配する両親の心をなだめようとすると、かえって両親の感情を逆撫でてしまいました。
本当は私も両親も子どもへの思いは同じなのに、私が自分の本心を無理に閉ざそうとしたために、お互い何度も感情的な言葉をぶつけ合いました。
親の娘を思う心を知りながら傷つけてばかり、自分の本当の思いにも素直になれない状況に胸が張り裂けそうでした。
〝鞭〟から一転、唐突に与えられた〝甘くない飴〟
私は再び夫と暮らす部屋に戻りました。
このままではいけない、ちゃんと目を見て話したかったのです。
しかし、
夫は子どもについては終わった話という感じで露骨に避け、何度も声をかけ続けましたが、先の理不尽な言い分をくり返すのみでした。
つわりを帯びた体を横たえ、ひとり黙って悲しい別れの結末について思いを巡らせると涙が止まりませんでした。
そのような最悪な状態の私たちでしたが、急な夫の言葉で一転しました。
「俺は周りから祝福されてムギコと結婚したい」
「祝福されるようにこれからも努力する」
「必ず俺が家族とムギコの橋渡しになるから」
そのような言葉を重ねる夫は
中絶を迫っていた時の冷酷非道な顔ではなく、
私がずっと慕い愛してきた温和で誠実さにあふれたやさしい表情でした。
中絶手術や子どもの命を奪うことへの恐怖
自尊心を奪うような誹謗中傷
そして、
一気に大切なものを失うかもしれないという悲しみや傷み
ずっとひとりで抱えてきたあらゆる感情があふれ、声をあげて大泣きました。
夫はさらに熱心に自身の将来への思いを語りました。
「俺を信じてついてきてほしい」
私は、夫も当然、中絶の後は私と別れるつもりでいるのだろうと思っていたので、その言葉には驚きました。
夫の両親から反対され
子どもを中絶するという決断を迫り
それでも私という逆境を抱えていくつもりなの?
この時の夫の前向きで力強い言葉がボロボロになっていた私を救ってくれたことは確かですが、疑問もありました。
「1年、とにかく1年付き合ってから結婚してほしい」
親がそう言ってるから、そうしてくれと言われました。
何も問題のない状況なら、夫の家族の言い分はわかります。
でも、
私は今、すでに新しい命を宿しているのです。
子どもの命を犠牲にし、将来一緒なると決めた人の心身をあえて傷つけてまで従わなくてはならないルールなのだろうか。
私が疑問を投げかけると、
「だって悪いことをしたのは俺たちでしょ」
「俺の親はまちがってないよね?ね!!」
急に恐ろしい形相で正論を突きつけられ、罪悪感を煽られた私はそれ以上何も言えませんでした。
夫の結婚宣言と私の決断
私たちは2回、私の両親と直接会って話をしました。
1回目は私のつわりが重かったため、移動の負担を考慮して夫の家に近いファミレスで会うことになりました。
夫は何をどう両親に話すのか。
両親は夫にどう接するのか。
私はまだ決まらない心をどうしたらいいのか。
とにかく不安でした。
両親に会うと
夫はものすごく丁寧に挨拶しました。
そして、終始物腰やわらかく、はきはきと受け答えをしていました。
両親は一度も夫を責めませんでした。
当の私が一度も夫たちを責めるようなことを言わなかったため、その思いを汲んで配慮してくれていたのか、もしくは両親も相手を責めることでは解決しないと考えていたのかもしれません。
夫は両親に対し、ものすごくオブラートに包んだキレイな言い回しで中絶を正当化していました。
まともな心理状態なら
そんな夫を責めていたと思いますが、
この時の私は
とにかく両親の心を壊さないでくれたことに安堵していました。
両親は最後に「ふたりでよく考えてから、もう一度答えを聞かせてほしい」というような言葉で締め、その日は終わりました。
この日の夫の立ち居振る舞いは完璧で、話の内容を除けば、両親にはとても好印象だったと思います。
これがモラハラ加害者特有の異常な外面の良さだとは、この時はわかりませんでした。
2回目の両親との対面の日。
この日まで、私たちはもちろん話し合いなどできていませんでした。
両親は前回よりも強い語気で質問を重ね、
夫は背筋を伸ばし、しっかりと言葉を返していました。
私は両親と夫のやりとりを心に落とし、
自分の気持ちとすり合わせる作業に没頭しました。
和やかな空気の中にも、夫の頑なで強固な主張が感じられました。
しばらくすると、夫は自ら言葉を発しました。
私と結婚することを明言した上で
橋渡しになる
祝福されるように努力する
以前、私にも伝えたような言葉を両親にまっすぐ宣言しました。
私も驚きましたが、両親も熱く堂々とした結婚宣言に少し圧倒されたようでした。
「本当にムギコを守ってくれるんですね」
母は何度も何度も夫に確認し
父も夫の顔を凝視していました。
夫はまったく怯まず、はっきりと
「僕が守ります」
「必ず守ります」
と答え、
「ムギコさんには安心して僕についてきてほしい」
「必ずしあわせにします」
と言い切りました。
母は、私を見て
「ムギコはどう?」
と訊きました。
もう既に、子どもを産むかどうかを議論する場ではないことを察した私は覚悟を決め、何かしらの答えを出さなくてはならないと思いました。
とても複雑なのですが、両親の前で堂々と頼もしい姿を見せてくれた夫には感謝の思いがありました。
これ以上、私のせいで両親の心を追い詰めたくなかったからです。
私を守り、しあわせにするという宣言は、娘を思う両親にとってはわずかながらでも救われたのではないかと思います。
私はこの時に流れていた空気を乱してはいけないように思いました。
子どもの命を主張することは、周りを苦しめるだけ。
ずっと一緒にいたいと思ってきた人がこんなにもはっきりと結婚を宣言してくれたのだから〝信じなければいけない〟そして〝信じよう〟と思いました。
私は夫について行くことを選びました。
こうして、2回目の対面は前向きな空気で終わりましたが、実はその後も両親は私の心情を心配していました。
親が察した通り私は〝子どもへの思い〟が整理できていませんでしたが、一切後ろ向きな姿を見せませんでした。
〝イチオの言葉を信じる〟
両親に対してだけでなく、
私は、自身にもそう強く言い聞かせていました。
心を翻弄した偽りの救世主
このように、ふたりの間にできた子どもですが、私の思いは乱暴に一方的に否定され、常に夫主導で物事が進められていきました。
夫と離れ、冷静にあの頃のことを振り返ると、夫の言葉には矛盾や歪んだ思惑があったように思います。
そもそも私たちは対等な立場で結婚前提のおつきあいをしていました。
しかし、
夫は子どもを中絶する交換条件として〝結婚〟を提示しました。
乱暴な言い方をしてしまうと〝子どもを堕ろせば結婚してやるよ〟ということです。
私たちの関係で、結婚と子どもを天秤にかけるのはおかしいです。
おそらく夫は私が別れを考えていることを察知し、私の両親も巻き込んで結婚の文字を強く出してきたのだろうと思います。
中絶はしてもらわないと困るけど、
私にいなくなられるのも、都合が悪かった。
夫は常に自分だけは悪者にならないように
不利な立場にならないように
自分を守るために人を容赦なく陥れ、
今度はその場しのぎのキレイな言葉や姿で偽りの救世主に扮し、人の良心や信頼を引き出して思い通りに支配していたのです。
私も私の両親も、
いろんな思いを乗り越えながら夫を信頼してきました。
だからこそ、
両親は夫との未来に娘を託し
私は必死に夫に尽くしてきました。
しかし、夫にとって信頼は自分に都合よく利用するものであり、自身の欲求を満たすためならそれを裏切ることや欺くことに心を傷めることはないのだと思います。
私の心を支配した危険な関係性
傷つけたられた自尊心
煽られた罪悪感
心を傷め続けて酷い状態だった私にとって、夫から伝えられた言葉は次第に救いとなっていきました。
子どもを産むことを必死に願っていたのに
その命を犠牲にしようとする人に救われるというのは、自分でも情けなく弱い人間だと思います。
でも、やはり
夫と歩む未来という希望がなかったら
何かしら信じるものがなかったら
私はボロボロに打ちひしがれたまま
醜く捨てられた自分を抱えて立ち上がることなどできなかったと思います。
どうしようもない私
救いの手を差し伸べてくれた夫
この構図が私の心を支配していました。
子どもを宿したこと
子どもを産ませてもらえなかったこと
夫と夫の家族に迷惑をかけたこと
妊娠してからの夫の言葉や態度は、私の心に〝すべては私が人として至らないせいだ〟という意識を植えつけていました。
そんなおまえだけど、
俺は許して救ってあげたよ
このようなメッセージを感じる場面が多々ありましたが、私は反発するどころか夫に頭が上がりませんでした。
その都度、感謝を深め
救ってくれた夫のために恩返しをしていかなければ、と心を固めるのでした。
中絶をめぐっても、なぜ夫や夫家族に怒りや嫌悪の感情が湧かないのかという当然の疑問が残ると思いますが、
それはやはり、
私が自尊心を限りなく失い続けたことで生きた心を損ない、正常な判断や正当な批判能力が欠如していたのだろうと思います。
もしあの時、
もっともっと感情を露わにしていたら
もっともっと自分を主張していたら
今頃、愛おしい子どもとにぎやかな日常を送っていたかもしれない、と思うこともありました。
しかし、
おそらく私と夫の関係性が変わらない限り、私は心身を消耗し続け、大切な人たちを不幸にしていたと思います。
いずれにしても
命を奪い、明るい場所に連れ出してあげられなかった子どもには、本当にほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
夫のことは私にはどうすることもできませんが、私の心の弱さや問題点に対しては、これからも逃げずに真摯に向き合い、強い心で乗り越えていきたいと思っています。
振り返って文字にしてみましたが、実際には言葉にのせきれない心の揺れや説明のつかない矛盾した心、激しい葛藤などが絶えず入り乱れていました。
言葉が稚拙で状況も感情もうまく伝えられないことにもどかしさがありますが、今、書けることを素直に書きました。
また違う時に振り返ったら、
こういう気もちだったな、
こういう場面があったな、
と思い出すことがあるかもしれません。
その時はまた、言葉を重ねていきたいと思います。
次回『私たちが子どもの命を手放した話④』では、中絶手術の日を迎えた私たちについておはなししたいと思います。