子どもとお別れする日、私の心と身体
私たち夫婦は結婚前に子どもを授かりましたが、夫と夫家族から中絶を強要され、産むことが許されませんでした。
妊娠が分かってからの2週間と少し。
子どもの存在を感じられるよろこびと
激しい葛藤と苦悩
心と身体を引き裂かれるような時間を経てきました。
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そして、
今回は『私たちが子どもの命を手放した話①~③』の続き、私はとうとう中絶手術の日を迎えます。
私が体験した中絶手術とその時の心の身体を中心に、おはなししたいと思います。
※今回のおはなしも不快に感じたり、さまざまなご意見ご感想があるかと思いますが、当時のありのままの出来事・思いをおはなししたいと考えております。
どうかご了承ください。
中絶手術前日、夫と病院へ
中絶手術の前日、
私は子宮口を広げる処置をするため病院に行きました。
私の場合は妊娠初期での中絶で、掻爬法という手術を受けることになっていました。
掻爬法は子宮口を広げ、医師が直接器具で胎児や胎盤などを掻き出す方法です。
私はおそらく出産経験がなく子宮が硬かったため、掻爬法による手術の前に子宮口を広げる子宮頚管拡張という処置を受けなければならなかったのだと思います。
その日、夫は勤務する学校が夏休み前で授業等がなかったため、病院に付き添ってくれることになりました。
病院に向かう途中、夫と何か会話したという記憶はありません。
病院に着いて自動ドアを抜けると
前来た時は多くの妊婦さんや小さい子どもでとても賑わっていたロビーが嘘のようにがらんとしていて、その広さと静けさにうろたえました。
普通の診療時間が終了した後だったので静かなのは当然なのですが、あまりの異空間ぶりに、私が前にロビーで見た多くの女性たちとは置かれた立場や状況がちがうことを突きつけられたように感じました。
あのにぎやかなロビーには愛がいっぱい、夢や希望があふれていた。
でも、
今の私は、あの場所に通されることはない。
とても同じ場所とは思えませんでした。
何階だったか・・・上の方の階に行き、看護師さんに名前を告げました。
指示を待つ間、長椅子に夫と並んで座っていました。
この時、私が思っていたことはただひとつ
〝手術やめたい〟
そればかりでした。
つわりによる吐き気
子宮辺りや腰の重だるさ
そして、
胸が張り、乳頭からは白っぽい母乳みたいなものが出続けていました。
赤ちゃんが成長を続け、私の身体は子どもを守り、産むために休まず働いているのを絶え間なく感じているのです。
あまりにも残酷です。
助けを求めるように夫を見ましたが、何も言わずに前方を見据えている横顔があり、その表情は向こうから差し込む夏の夕方の日差しがまぶしく逆光でうかがい知ることができませんでした。
表情は分からなかったけど、
私はなんとなく横顔から視線をはずしました。
〝やっぱり手術辞めたい〟
思い切って夫の横顔に向かって発する自分をイメージしては振り払い、何度も溢れそうになる本当の思いを必死に飲みこみました。
看護師さんに名前を呼ばれ
私は立ち上がり、最後に振り返って夫の顔を見ました。
口をまっすぐ横に結び、眼鏡の奥の大きい目はこちらを見ていましたが、残念ながら一瞬では夫の表情を読み取ることはできませんでした。
小さな部屋に通され、手術着のようなものを着用して待ちました。
仰向けで部屋の天井を眺めていると涙が込み上げてしまい、堪えるために何度も深呼吸をくり返しました。
いよいよ先生と看護師さんがいらして処置がはじまると悲しみに緊張が上乗せされ、そしてすぐに、私は自分の感情を一時放り投げることになりました。
なぜなら、その処置が
想像を絶する、ものすごい痛み
だったからです。
子宮頚管拡張の処置は
ラミナリアという、海藻でできた棒状のものを子宮頚管に数本挿入します。
麻酔は使用しません。
挿入したラミナリアが時間をかけて膨張し、ゆっくり子宮口を広げるのです。
私はラミナリアの現物を見ていなかったので、感覚的には鉄の棒らしきものを何本も強引に押し込まれているという感じでした。
引き裂かれるような痛み
鋭いもので刺されるような痛み
痛みには強い方だと自負していましたが、ラミナリア挿入の痛みは突出し過ぎていて別次元でした。
あまりの痛みに力んだりじっとしていられず、何かしら声を出さないと我慢できませんでした。
途中、先生や看護師さんの励ます声が聞こえ、私は頷きながら全身で痛みを受け止めるように大きな呼吸をして何とか耐えしのぐことができました。
処置が終わったとき、
私はいつ流れたか分からない涙と汗でぐっしょり、ものすごい疲労感でした。
そして、
子宮のひどい圧迫感と違和感、
お腹の辺りまで感じる激痛と鈍痛。
何とかベッドから起き上がり歩いてみましたが、前かがみとガニ股の不格好な姿勢のまま、なかなか上手く足を運ぶことができませんでした。
部屋を出て、すぐ目の前に長椅子に座る夫の姿が見えるとすぐに駆け寄りたくなりましたが、その距離を縮めるのも容易ではありませんでした。
夫の元にたどり着くと、私はそのまま膝をついてしゃがみこみました。
しばらく、大きく呼吸をしながら痛みの波をいくつもやり過ごし、ようやく立ち上がって病院を後にしました。
ふたりで夫の部屋に帰り、
私はそのまま布団に横になりました。
夫も私の横で眠ってしまいました。
すっかり陽が落ちて暗くなった部屋の中はとても静かでしたが、私の心と身体はあらゆる痛みが騒々しく駆け巡っていました。
身体が重くて動けず
思考もうまく働かず
私は為す術なく、お腹の子どもと最後の夜を過ごしました。
中絶手術当日、ひとりで病院へ
中絶手術当日。
身体はつわりの気持ち悪さとラミナリアの痛みに悲鳴を上げていたため、学校へ出勤する行く夫を見送ることはできませんでした。
夫は一言
「なるべく早く帰ってくるから」
と言い残し、出かけて行きました。
手術は午後。
それまで、一切の飲食を禁止されています。
特に食欲も湧かず、テレビを見る気にもならず、家を出るまではただ横になっていました。
愚かだと思われるかもしれませんが、
私は最後まで
そこのドアを開けて「やっぱり中絶はやめよう」と叫ぶ夫の姿を待っていました。
病院に向かうバスを待つ間
病院に着いてからも
夫が息を切らして私の前に現れることを願っていました。
そうやって悲しみや苦しみから現実逃避していないと耐えられなかったのかもしれません。
処置室のような場所で看護師さんから説明や指示を受けました。
その時に、以前私に「ゆっくり考えて」と言葉をかけて下さった看護師さんが横切り、私は反射的に身を小さくして伏せてしまいました。
その看護師さんは忙しそうに歩いていて私に気づいてないと思いますが、看護師さんにいくつも嘘をついている罪悪感が拭えず、顔を合わせることが苦しかったのです。
その後、手術までの細かな記憶が曖昧なのですが諸々の準備を済ませ、手術着に着替えたと思います。
手術台に促され、深く腰掛けると
看護師さんが手際よく、私の体にいろいろと準備をしていきました。
そして、
全身麻酔の注射が打たれ
先生の指がカウントを取っているところで眠りに落ちたようで、私の手術前の記憶は先生の2本の指のイメージを最後に途切れています。
次に私の記憶が繋がるのは、病院のベッドの上です。
目覚めた時、状況を理解するのに少し時間がかかりました。
ベッドの横にサンドイッチとパックのお茶が用意されていました。
特にお腹が空いているわけではありませんでしたが、何も考えず、無心で口に運びました。
次第に、自分が眠っている間に子どもとお別れしたこと、お腹にはもう子どもがいないことを認識し、急に感情が溢れてきました。
振り返ると自分でもよく分からないのですが、私はサンドイッチを片手に持ち、食べながら声を押し殺して大泣きしました。
無意識の内にさよならをしてしまい、ちゃんとお別れできなかった。
その時の私は、
子どものために泣くことしかできませんでした。
体調が大丈夫そうであればいつでも帰宅していいとのことでしたが、なんとなくすぐに帰る気持ちになれませんでした。
カーテンで仕切られた、この薄暗く狭い空間で静かにしていたいと思いました。
やっとのことで重い腰を上げ、まだ痛みや違和感でだるくぎこちない身体を引きずり、時間をかけて夫の家に帰りました。
ふたりでもひとり。かすかに漂う孤独と違和感
家に着いてから心配していた母から連絡があり、精一杯エネルギーを寄せ集めて手術を終えたことと自身の無事を伝えました。
心の部分には触れてほしくなかったので、間をつくらないように必死にしゃべり続け、〝私は大丈夫!〟というメッセージを発信しました。
母との電話を終えると、
私は布団に突っ伏し、そのまま重い鉛のように身体が動けなくなりました。
頭は熱っぽく、
子宮や下腹部辺りに不快感とともに激しい鈍痛がありました。
〝さっきまではいたけど、今はいない〟
今ある感覚は子どもの存在感ではないのだな、と思うとたまらなく孤独で悲しくなりました。
これまでのことが断片的に次々と思い出され、その都度胸が苦しくなり涙が止まりませんでした。
私はいつのまにか眠っていて、夫の帰宅で目覚めました。
部屋は真っ暗で、向こうの台所の電気の明かりが夫を背中から照らしていたので、黒っぽい夫のシルエットを確認することができました。
「遅くなってごめんね」
夫がそう言って謝りました。
時間が分からなかった私は、夫が謝るほど帰宅が遅かったのかどうかも分かりませんでした。
時間がどうあれ、
とにかく今、夫が目の前にいることに安心しました。
夫は「大丈夫?」と軽く声をかけてくれましたが、それっきり中絶に関しても私に関しても何も言葉が続きませんでした。
微妙な沈黙の間があり少し心にチクッと痛いものを感じましたが、私から改めて中絶手術が無事に済んだことと現在の体調を伝えました。
さっきまで、あんなに心も身体も傷みと痛みに苛まれて泣き続けていたのに、いざ夫の姿を前にした私はそんな自分をさらけ出すことはせず、精一杯の空元気とやせ我慢をしてしまいました。
夫は冷たかったわけではないのですが、
なんとなく薄い膜の向こう側にいるような、仕切りがあるような感じがしたのです。
でも、もしかしたら
私は手術を受けて子どもを失ったばかりで、心がよりナーバスになっているのかもしれないし、夫はとても心配してくれているけれど、私の心身に負担をかけないように心遣いをしてくれているのかもしれない。
お互いにこのような状況に慣れているわけではないので、どうしたらいいのか分からず困惑するのは当然だ、
などと捉え、悲観しそうな自分の心を流すようにしていました。
しかし、本当に最後まで何の言葉もないまま夫がいつもと変わらない様子で就寝してしまうと、ひとり残された私の心には孤独と違和感が漂い、なんとなく落ち着きませんでした。
夫はとなりにいる。
大丈夫だ。
そう言い聞かせながら、私はひとり壮絶な一日を終えました。
夫を信じ
私たち二人の子どもを
私たちの未来のために手放した
背負った命の重みを生涯ふたりで共有し、
これから繋がる家族・家庭のために心を尽くしていくのだ
私は漠然とそのようなことを思っていました。
なので、あの中絶の夜に感じたかすかな孤独や違和感は、時間とともに私の心身が日常を取り戻せば消えるだろうと考え、深く追わないようにしていました。
ところが結婚後、
あの時、私の感じた孤独と違和感は思い過ごしなんかではなかったことを痛感させられます。
次回は、中絶後の私たちとその関係性の変化や夫の裏切り、もたらされた苦悩についておはなしいたします。