俺の金は俺のために
〝モラハラ夫はケチ〟
モラハラ夫について検索すると
このような文言をたくさん見かけます。
私の夫ももれなくそうでした。
しかし、単純に『ケチ』という一言では片づけられない夫のお金の使い方。
お金の使い方にも、モラハラ夫特有の思考や特徴がありました。
今回は、自分本位な夫の『お金の使い方』と、そのモラハラ夫の心を考察します。
夫婦らしくない結婚生活
私たちは入籍の3カ月前から同居を始めました。
いつか近い将来、夫の実家で同居することになっていたとはいえ、夫はふたりの新生活のための準備をしようとしませんでした。
最低限必要な食器や生活用品などは私が自分で購入して揃えたり、テレビや家財なども父親に協力してもらい私の実家から持ち出しました。
崩れかけたいくつもの段ボールと古くて使い物にならず、部屋のサイズに見合わない大きすぎる家具に占領された空間で自分のスペースだけ雑に確保してくつろぎ続ける夫。
一度も部屋の段ボールを開けようとせず
一ミリも家具を動かそうとしません。
すべて私ひとりで部屋を整えました。
少しずつ生活する場としての空間が整えられているにも拘らず、夫はそれについて一言も言及しませんでした。
とにかく〝自分さえよければ〟という考えの夫
夫は自分が寝て、食べて、テレビとパソコンとお菓子があればそれでよく、一人暮らしの頃と何ら変わらない生活スタイルを崩しませんでした。
必要なものを訴えても
「俺は必要ない」
「じゃあ、ムギコがなんとかして」
こちらを一切見ることなく一蹴され取り合ってもらえないため、私は夫の機嫌を損ねないように顔色とタイミングを窺いながら、慎重にその必要性を訴え、必死にプレゼンしなければなりませんでした。
※それでも応じてはもらえなかったのですが。。。
劣化しすぎて不具合を起こす家電たち
破れまくったカーテン
開閉が不自由でシミだらけの棚
引き出すたびに木くずまみれになるタンス
カビの生えた布団
など
夫が長年使い続けてきた家財の数々は
〝物を大切にする〟
〝倹約〟
という範疇を超えており
すべてが効率悪く、生活を不自由にしていました。
それらのために
家事が二度手間三度手間になろうが
不快な思いをしようが
夫の快適の裏に、本来ならしなくてもいい妻の苦悩と苦労があったとしても、夫にはどうでもいいことのようでした。
もちろんすべてを新品にしろとか、私を楽にしろということではなく、私はふたりで生活を組み立て、積み重ねていくという作業を求めていたのです。
しかし、
外で仕事をしてる俺を盾と武器とし、
どんなにしっかり家事をこなしても夫の心身を支えても妻を見下し、無能扱いでした。
〝夫婦〟〝家庭〟のために使うお金を露骨にケチる夫。
私たちの生活は、その環境も関係性も〝夫婦の生活〟とは言い難いものでした。
基準は〝俺〟が快適かどうか
家庭・家族に必要な物であっても、〝俺〟が必要なければ無駄な物。
夫はお菓子やゲーム・娯楽など、直接自分のため・利益になることにはどんどんお金を出しますが、自分が興味ないことや直接関係ないことにはケチであり、お金を使うことを拒みました。
そして、ただケチなだけでなく
私が満足したり、快適になることが面白くなかったようでした。
冷蔵庫の不具合のため、夫の大好きなアイスがどうしても溶け気味になってしまうことが続くと、夫は私が冷凍庫に食材をストックしているせいだと何度も文句を言いました。
そこで、冷蔵庫の劣化に悩まされていたので購入を提案すると即、却下。
その後、私の実家が引越しすることになり、両親がそのタイミングで冷蔵庫を譲ってくれる話があったのですが、夫は「とにかくいらないから断って」と頑なに拒否。
ただでもらえるし、夫には何の迷惑も掛からないのに。
食器棚をもらった際には
「食器棚って必要?」
ものすごく冷たく嫌な言い方をされました。
夫の実家にだってものすごく大きな食器棚があるのに・・・
夫は特別な根拠も理屈もなく、ただただ妻のささやかな満足や快適を奪いました。
掛布団が一人分しかなく
私の身体がはみ出てしまっていても
床にご飯を並べて食事をするような日々でも
〝俺が〟ぐっすり眠り
〝俺が〟おなか一杯になれば
〝俺が〟楽しく満足に暮らせれば、それでよし。
妻の心も身体も考慮・配慮されることはなく、お金の使い道の大半は俺の〝快楽〟と〝満足〟の基準によって決められていきました。
得と見返りのためなら大盤振る舞い
モラハラ夫はものすごく外面がよく、激しい二面性を有しています。
夫も自分を良く見せるために、心身ともにかなり労力を注いでいました。
夫の人間関係の基本は損得勘定です。
自分にとって得や見返りが期待できる人だと踏むと
気を遣う
足を使う
そして、お金を使う。
とても気前がよく、大盤振る舞いでした。
そういう自分を演出することで周りからの注目や称賛を得、自分の思い描く〝素晴らしい俺〟を作り上げていました。
必要以上にあげようとする、常識を超えた高価なものを選ぶ、とにかくマメであり家庭へのお金のかけ方とは真逆でした。
そして先ほど、家庭や妻にはケチだとお話しましたが、急に私にお金をかけようとすることがありました。
結婚式の準備
保険の契約
旅行の手配
など
第三者を前にすると、ふたりの時とは全く違う柔和な夫の顔になり
〝自分よりも妻のために〟
というようなことを堂々と高らかに言い放ち、外に〝愛妻家の素晴らしい俺〟をアピールしました。
これは真の優しさや心遣いではありません。
2人になると、また一瞬でモラハラ夫の顔に戻って不機嫌になり、後から何かとお金の不平不満をぶつけてきたりしました。
夫が急に何の脈絡もなく焦って私をどこかへ誘うときや、不自然な状況で何かをしようと提案するときは純粋に私のためではなく、夫の中に何か思惑があったのだと思います。
例えば、職場の人たちの前での〝素晴らしい俺アピール〟の勢いで嘘をついてしまったり、大風呂敷を広げてしまい、収拾がつかなくなって実行せざるを得なくなったなどが考えられます。
後になって、同僚の先生から
「そういえば奥さん、〇〇行ったんだって?」
「イチオ先生は奥さん想いだよね」
「奥さんはしあわせだね」
などと言われる機会が何度もあり、
その度に夫の嘘がバレたり、不自然な流れが理解できたりしました。
夫は外への自分のイメージの保持のために、わざわざ本心に逆らってお金を使っていました。
屁理屈と責任転嫁
モラハラ夫だと知らなかった私は、夫とはしっかり話し合えば分かり合えると信じていました。
家庭を営むということ、お金の使い方についても、それぞれちがう家庭で育ったのだから価値観が合わない部分もあるのだろうと思い、何度も夫との会話を求めました。
しかし、
夫は最初から私の言葉に異常な嫌悪を示し、一度もまともに話し合うことができませんでした。
「金が足りないって言うのかよ」
「じゃあ、金持ってる人と結婚したら」
お金が足りないという話はまったくしていないのですが、夫は私の話の筋をずらしていきます。
「(金がないのは)貯金とか保険とかやってるからでしょ」
「俺はあなたの言うとおりにやってやってるだけ」
「俺は最初から貯金も保険も必要ないって思ってるけどね。あなたのためにと思ってやってやってるでしょ」
私が〝お金が足りない〟という話ではないことを必死に説明しているにも拘らず、夫はさらに話をずらし、お金がないのは〝ムギコが提案した貯金と保険のせいだ〟と言いだします。
「やりたくもないものをやらされて、あなたに歩み寄ってやったのに」
「歩み寄らせといてまだお金が必要?どういうこと?」
貯金も保険も、私が勝手に始められるものではありません。
始める時には夫に相談し、特に保険に関しては私よりも夫の方が積極的でした。
そのような経緯を丁寧に話しても夫はまったく聞いておらず、完全に私一人に責任をなすりつけてきます。
「あなたはいつも恩を仇で返す」
「歩み寄った俺の優しさを踏みにじるとか、あなた人としてどうなの」
「あなたみたいな人とはやっていけない」
「もう無理。離婚だよ」
最後まで一切真意が伝わらないまま、一方的に否定されてしまいます。
屁理屈と責任転嫁
モラハラ夫の常套手段であるこれらには、本当に苦しみました。
お金や生活の話題はだいたいこのような流れで強引に真意を捻じ曲げられ、強引な展開の中で私への非難や否定がくり返されました。
最終的に夫から離婚を突きつけられたり〝人として〟の自分を否定されるとものすごく胸が痛みました。
さらに〝あなたのせいでものすごく傷ついた〟と訴え続ける夫を前に、私は本当に酷いことをしてしまったのではないかという感覚に陥り、泣きながら必死に謝罪を重ねました。
夫は、常に自分の都合を優先して無責任をくり返し、現状・真意を捻じ曲げて現実的なことから逃げ続けていました。
家庭に使うお金は見返りがない
このような考えが染みついた夫。
一切ひるまず、堂々とくり返す屁理屈と責任転嫁に対し、私は一生太刀打ちできなかったと思います。
モラハラ夫のお金の使い方、そのワケ
ここまでお金に執着している夫ですが、
実はお金の運用や管理には無頓着であり、かなりずさんでした。
『俺の金』が
減った・損した・足りない
という目に見える分かりやすい状況には異常に神経質で怒りや不満をあらわにしましたが、だからといって計画的にお金を使うとか有効的な使い方をしようなど、自分でお金について思考する様子は見られませんでした。
夫にとって大事なのは
〝今〟〝俺の〟欲求を満たすことです。
食べたい・遊びたいなどの純粋な欲求だけでなく
劣等感の払拭
自尊心の維持
人を見下すことで
人より優位に立ち
徹底的に自己保身し、自分本位な自己顕示欲を満たしています。
お金を稼ぐ俺
お金を自由に使えない立場の妻
この優位性を利用すれば、妻を黙らせ、延々と支配・コントロールできます。
また、外の人に対しては
気前よくお金を使う俺
このような自分を演出すれば、自分の望む利益のために人の心を動かすことができると考えたのではないか。
とても虚しく悲しい考察ですが
夫のお金の使い方。ケチと損得勘定は
〝自分の身を守り、立てるための道具〟としてのお金に執着していたためではないかと私は思います。