妻、やめます。

モラハラ夫と過ごした日々の回想録

モラハラ夫を育んだ親の正体②~父親の〈否定と無関心〉

息子の自己肯定感を奪った父親の〈否定と無関心〉

 

モラハラ夫を育む主な要因は〈家庭環境・親〉にあり、そしてその親もまた、モラハラ加害者であるケースが多いと言われています。


前回は、私が客観的に見てきた夫と両親、その関係性を掘り下げてモラハラ夫を育む家庭・親について考察しました。

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今回は、父親と夫との関係性についてみていきたいと思います。

私が見た、夫の父親


夫の父親はとても寡黙な人でした。

気が弱いとか人付き合いが不器用というのではなく


話したくないから話さない

話す必要がないから話さない


というような強固な意思・信念を感じました。



表情からは感情を読み取ることができません。


怒りでも困惑でもない。

一見、物静かで穏やかな表情に見えなくもないのですが、そのままお面を張り付けたように動きがなく、目の奥を探ろうとしても何か阻むものがありました。


最初の頃は、お互いに緊張しているから仕方ない、いずれ打ち解けていけるだろうと考えていましたが、それは間違いでした。


夫の父親は、
家族との団欒に興ずることもありません。


ごくわずかなひととき居間にいることもありましたが誰と会話するわけではなく、いつのまにかいなくなっています。


特に驚いたのは、

夜8~9時に就寝し、夜中の2時に起床する生活を続けているということ。


夜中にコーヒーを淹れ自室にひとり籠って過ごしているのだそうで、何をしているのかは夫もよく分からないようでした。


夫の家族の中ではこの〈ルール〉は当然のことであり、私が疑問を挟むのは許されない空気がありました。


生活リズムは人それぞれなので私がとやかく言うことではないのかもしれませんが、


親戚が遊びに来ても
息子家族が帰省していても

自分のリズムは一切崩さず、対応は母親と祖母に任せきり。


頑なに自身の信念を通す様子には驚愕と困惑でいっぱいでした。



物事に対しては
真面目で賢く、聡明な人なのだろうというのは何となくわかります。

でも

私が人として素直に感じた父親の印象は

どこか冷たく、情というものが欠落していたように思われました。


何を考えているのか分からない
何を思っているのか分からない


夫の父親が放つ〈静かな脅威〉は、私の心に恐怖と嘆息をもたらしました。

夫と父親の関係


私は夫と父親が明るく話しているのを見たことがありません。


いろんな親子の形があるので
どこも皆が分かりやすく仲良しということはないとは思います。


しかし、それを踏まえても


夫と父親の関係には、ただの不仲や相性の不一致などでは見過ごすことのできない問題があるように思いました。




どのような場面でも、

ふたりの間に流れている空気は常に硬く息苦しく、特に夫はひどく緊張を帯びていて、ものすごく気を遣っているのが伝わってきました。


何気ない質問も、お願いも、報告も
弱々しい声で遠慮がちに声をかけます。


夫が父親に自分を出すことはありません。


そして、
それを受ける父親は

あらゆる情や慮をそぎ落とした一言を聞き取れないような声で発するのみ。


その一言すら息子に届けるのが億劫なのか?と思うほど父親の応対には相手への配慮が無く、人を軽視するような態度に取れました。


それでも夫は、


父親の言うことは絶対


どんなに冷淡にあしらわれても
一方的に否定されても

ひとつも言い返すことなく飲みこむのでした。


※私に少しでも否定的なことを言われると、ものすごい勢いで怒りを露わにするか、分かりやすく不機嫌な荒々しい態度をとるのですが、親の前ではまったくの別人です。



たまにしか会えない息子に
無反応・無表情・無関心を貫く父親

たまにしか会えない父親に
心を殺し、自分をさらけ出さない息子


もしかしたら私にはわからない親子の絆があるのかもしれない、と考えたこともありますが、


目にしてきた親子の姿
耳にした会話
肌で感じた空気


それらの中に親子の親しみや父親から息子への愛情、心の繋がりのようなものを見出すことはできませんでした。

認められたい息子


夫は父親を慕い、尊敬していました。

そんな夫が父親に褒められたい、認められたいと考えるのは当然だと思います。


しかし、

夫の思いはことごとく打ち砕かれてきました。

 

前回にも書きましたが、どんなに息子が頑張っても親がそれを認め、息子の思いを受け止めることはありませんでした。

 

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夫から聞いた中で、とても印象に残っているエピソードがあります。

 


夫は高校卒業後、
実家を出て大学と大学院へ進学しました。


自ら望んで志した進路でしたが、その都度家族から猛反対されていたそうです。

 


祖母からは「勉強して何になる」というようなことを言われたこともあったようで、夫は明るく前向きな希望を持っただけで逆境に立たされてしまったのです。


おそらく、長男として家を継ぐ使命を背負わされた夫には、大きな夢や希望を抱く自由は与えられていなかったのだと思います。



どう説得したのかは分かりませんが
何とか親の許しを得ることができ、

夫は自分で選択した道を紆余曲折しながら駆け上がっていきました。


しかし

最終的には大学院を中退してしまいます。


研究を続けていくのが難しくなり30歳手前にしてやむなく決意し、教師としての道を進むことにしたのだそうです。



それを聞いた父親が息子に向けた言葉は


「裏切者」



父親がどういう気もちで息子にそのような言葉を放ったのかは知りません。


出したお金のことなのか

それとも、

待った時間か
懸けた期待か


父親が息子に裏切られたと感じたのは何だったのでしょうか?


夫から聞いた話だけで判断するのはよくないですが、いずれにしても親から「裏切者」と言われることは子どもにとってものすごく強烈だと思います。



かつて、会話の中で


「学生は勉強しかしちゃいけないと思ってた」

「親に金出してもらって遊ぶわけにいかないでしょ」


夫はこのように学生時代を振り返っていました。


おそらく、自分の力をすべて出し切った上で自分の将来や家族への負担などを考えての苦渋の決断であり、親を裏切るような怠慢や勝手などは無かったように思われます。


また、

残念ながら研究を極めること、卒業はかないませんでしたが

親元を離れ、必死に挑んだ研究生活を通して得られた学びや幅広い経験は、夫にとって大きな誇りや支えとなっていることがその話しぶりから窺えました。


しかし

父親は息子の挫折を許さず、

さらに、息子の歩んだ道を〝一言で〟全否定してしまったのです。




父親とのこのようなエピソードを語る時の夫はいつも冷静で、まるで他人事のように淡々としていました。



夫が父親から認められるためには

父親の望む息子になる以外に道はない


父親の望む息子になるとは、


自立し、社会で立派に活躍することでも

家庭を持ち、しあわせな人生を送ることでもありません。



それは、

実家に戻って家を継ぎ

父親と家の顔を立て、父親の平穏と安泰のために尽くすことです。



息子が
自分で望んだこと
自分で判断したこと
自分で選んだこと


それに対し父親は
日頃は息子に無関心で黙って放っているけれど、いざ息子の意思が少しでも父親の敷いたレールから外れると知ると頭から否定する。

 


夫はずっと本当の自分を認めてもらえなかったのではないかと思います。



夫は慕う父親から「裏切者」という烙印を何度も押されたことで、自分はダメな人間であり、親に対して悪いことをしたという強い罪悪感に苛まれていている一面を見せることがありました。


許されたい
そして、認められたい


夫は本当の自分の心をどこか深く遠くに葬り

必死に父親の中に自分の存在意義を見出し続け、安心できる居場所を探していたのではないかと思います。

親になれない父親?

 
夫の昔話には父親がほとんど登場しません。

幼少期からずっと、
同居する祖父母と過ごす時間が長かったようです。


今まで見てきた父親のことを思うと、

育児は母親と祖父母に任せきりで、
子どもに無関心だったのではないか


と思います。


父親は

仕事は真面目であり、
生活が乱れていたわけではありません。

衣食住・教育の面で
子どもたちに不自由させていたわけでもありません。

表立って争う姿を見せることも
暴力を振るうこともありません。


ただ、

子どもと正面から向き合ってこなかった

 


心の交流を避け

子どもの成長に即した父親としての役割を放棄していたと思われます。



父親は産まれてからずっと同じ環境で暮らしてきました。


お見合いで結婚しましたが、
あくまで一家の長は自分の父親(祖父)であり、仕切るのは母親(祖母)。


父親はいつまでもこの家の長男、息子のまま。


妻とともに責任もって家庭を築くというより、親(祖父母)の庇護のもと嫁という世間体を得た、という印象です。


結婚しようと
子どもが生まれようと
家族の形が変わっていこうと


親(祖父母)が生活の中心にいて
働き者の妻(夫の母親)がいて

自分は何一つ生活スタイルを崩さず〝この家の長男・息子のまま〟豊かな家庭の形が手に入っていた。


そして
それが許される環境だった。


だから、父親は

家庭を築く
子どもを育てる

これらへの責任感、意識が低かったのではないかと考えます。



久しぶりに会った息子に

よろこびや親しみの表情もない

ろくに声をかけることも
興味を持って話を聞いてあげることもない

ちゃんと正面からぶつかってあげることもない


あまりにも息子に無関心な父親の姿に、何度も私の心が潰されそうになりました。


夫や母親の話から窺えたのは

父親は人と関わることを嫌悪し、避けてきた

ということ。


おそらく、
息子のことも例外ではなかったのだと思います。


自分のペースを乱すもの。
興味をそそられないもの。


子どももそのようなものの一つとされていたのかもしれません。



子どもと情緒的な関わりを避け
成長から目を背け
子どもの心・愛着を損なうように突き放す


ところが、急に

〝父親のような顔〟で威圧し、支配する。



このような子どもへの無関心や無視は、


息子の人格を傷つけるモラハラであり、

育児放棄・心理的な虐待という側面もあると思います。

失われた息子の自己肯定感


父親の寡黙はただの性格ではなく、

息子へのモラハラや虐待の一種だと考えると、ふたりの関係性に納得がいくように思います。


子どもの感情を蔑ろにし
ありのままを否定し

子どもを一人の人間として尊重してこなかった父親


無条件の愛情に恵まれなくとも夫にとっては唯一無二の父親であり、慕い育ってきました。


結果、息子は

いつのまにかありのままの自分を失くし、狂信的に父親の承認を追い求めて偽りの自己を確立してしまいました。


モラハラ夫の根底にある

自己肯定感の低さ
劣等感


これらは父親からの否定や無関心が大きく影響しているのではないか、と思います。


夫が私にしてきたモラハラ行為の数々は

夫の父親が妻や息子たちにしてきたことと、とても酷似しています。


それは、

夫は追い求める父親の見えない暴力・支配を家族・家庭の正しいあり方であると思い込むと同時に、


無意識の内に


〝ありのままの自分ではいられない苦悶〟

〝不安定な自己でいることの恐怖〟


これらから逃れるため、

歪んだ自己愛を盾に自ら私へのモラハラ行為に身を投じていたのではないかと考えています。

 

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