空の自分を埋める作り物の心、借り物の言葉
空の自分を抱えて生きるモラハラ夫
今までのブログで、何度か
〝モラハラ夫には自分がない〟
というおはなしを書いてきました。
推測ですが
幼少期から、支配的な家庭環境と
純粋な愛情に乏しい親との関係性のなかで育った夫。
愛情と承認、安心できる居場所を得るため
自分の存在を守るため
常に、家庭や親の価値観に沿う自分にならなければならなかった。
夫の中に自分がないのは
健全な自我を否定され、
精神的な自立の機会を奪われてきたからだと私は考えています。
空の自分に埋められた他者の価値観。
無理やり抑圧された自己。
無意識のうちにこれらを保身のため自己の欲求のために受容したけれど、どこまでも満たされない愛情と承認。
モラハラ夫は、空で不安定な自己を満たすため
外に向けては
強引に〝すばらしい自分〟になることで周りから称賛を集めたり、〝徹底した従順さ〟を示して信頼を得ることで絶対的な安心、安全な居場所を確保することで欲求を満たす。
内に向けては
モラハラ行為によって、外で激しく消耗して蓄積した心身のゴミを吐き出すことによって自身を解放し、また支配と服従の関係性を維持することで欲求を満たす。
あくなき自己顕示欲の誇示と劣等感の払拭
これらに異常な執着とも取れるほどに心を囚われていた夫は、自分で作り上げた理想と自分がないという現実の間を激しく行き来していました。
理想の自分
現実の自分
そのどちらにも、本当の夫は存在しません。
空の自分なので
自分の頭や心で思考することも
自分の言葉で語ることもしません。
さて、このような夫ですが
中学校の教師として教壇に立っています。
もちろん、
外に向けた〝理想で完全武装した姿〟で、です。
知識の教授だけでなく
心身の発達を見守り
複雑化する思考に寄り添い
時に難しい状況の中でも
生徒を受容し
または
正面から真摯に向き合わなくてはならない
教師の仕事は本当に多岐にわたり
物事への柔軟さやスピード、人としての深さ広さを問われるようなことも多く、とても大変だと思います。
では、夫はどうだったのか。
自分のない夫はいかにして教師の仕事に従事していたのか。
だいぶ前置きが長くなりましたが、
今回は、自分がない空しいモラハラ夫が歪んだ自己愛を満たすために社会でどのように振る舞っていたのか、また、そのために生じる理想と現実の間で苦悩するモラハラ夫についておはなししたいと思います。
モラハラ夫に必要不可欠な〝すばらしい自分〟
夫は、外では
生徒思いで良い先生
将来有望な教師
このような評価を得ていたようです。
※ついでに〝ものすごい愛妻家〟というイメージも定着していたようです(苦笑)
少なくとも私が知る同僚の先生や多くの生徒・保護者から慕われ、信頼を得ているという空気を外部にいる私も感じることができました。
生徒に親しみ、まじめで一生懸命
何事においても前向きにこなす
謙虚で礼儀正しい
実際に結婚前の私はこのような夫の姿を見て、夫と教師という仕事に対し尊敬の念を抱きました。
しかし、
結婚して次第に見えてくる夫の姿は周りの〝すばらしい先生〟という評価からはかけ離れたものでした。
共感できない
責任もてない
人を否定し見下す
自身の勝手で歪んだ欲求を強引に通すため、目の前の人間の心・感情を乱暴に無慈悲に踏み潰す夫。
夫の相反する姿への混乱と困惑を経て
モラハラについては無知でしたが、その主な特徴である夫の激しい二面性、異常なほどの外面の良さを有するという性質をはっきりと認識していました。
自分がない空しいモラハラ夫にとって〝ありのままの自分〟でいることは
〝自身の欲求・安心安全〟
を遠ざけるだけでなく
〝自分がないという現実〟
を突きつける脅威でもあります。
なので、夫にはどうしても〝すばらしい先生〟という姿が必要だったのです。
虚飾と擬態によって作られた理想の教師像
夫はどのように〝すばらしい先生〟を作り上げていたのか。
その答えは
〈虚飾〉と〈擬態〉
言葉を飾る
表情を飾る
態度を飾る
とにかく自分から発するものすべてをキレイに見栄えよく飾り立てる。
そして
慈悲深いような
愛情深いような
人格者のような
理想の姿を見たまま真似て、表面をすばらしく見せる。
自身の内にある黒いものを覆い隠し
自身の空の部分を埋め尽くす
外に見えている〝すばらしい先生〟の姿は、夫が歪んだ自己愛を満たすために作りだした〝理想の教師の虚像〟です。
虚しい教師の実態
ここからは、いくつか私が見てきた夫の虚しい教師の姿をおはなしいたします。
作り込まれた人格者
〝子どもは宝〟
夫が外に向けてよく使っていた言葉です。
勤務する学校が創立記念に発行した文集など、多くの人の目に触れるところで記されていました。
誰もがうなずく輝かしいテーマ
隙のない文章で主張された崇高な思想
あまりにも日頃の言葉や態度とはかけ離れた別人格のような文章に、私は心がかき乱されるような思いに見舞われることが何度もありました。
このような傾向は日頃の学級通信の内容にもみられました。
夫はよく、学級通信の配布前に内容の不備や文字のまちがいの有無の確認のために下書きを私に見せました。
私は夫が明るく「読んで」と言ってくれるのがうれしく、夫の力になれるならと思っていつも丁寧に読んでいたのですが、何となく引っ掛かることがありました。
それは
保護者への感謝や気遣いが過剰すぎる
キレイな言葉があふれ過ぎている
保護者への配慮は大切だと思うのですが、
それがあまりにも過剰で却って嘘っぽく、ひどい時には媚びているように思わせるものもありました。
純粋に生徒の日常や成果を伝えることよりも、自身への評価に重きを置いているよう。
夫が何かを発するとき、
その心の中は自分でいっぱいであり、その目が見ているのは生徒でも保護者でもなく、偽りの称賛を浴びる自身の姿しかいないのではないか、と思いました。
心がない謝罪と感謝
文章や文字はひとり自分のペースで作り込むことができますが、電話でのやりとりや相手が直接目の前にいるときは、その場で臨機応変に対応しなければなりません。
こういう時、夫は
決まった笑顔を顔に張り付け、ただただ機械のように何度も頭を下げながら謝罪や感謝をくり返しました。
話の流れや会話のキャッチボールに合わない大げさな謝罪や感謝。
なぜ夫が謝る?
一体何に感謝なのか?
まったく心がこもっていない対応をしている夫を何度も目の当たりにし、複雑な気持ちになりました。
夫の心ない無意味な謝罪や感謝に疑問を抱く人も中にはいたと思われますが、多くの方はおそらく、いつも謙虚で生徒思いの先生がさらに何度も頭を下げる姿に好感を持っていたのかもしれません。
いつまでも白紙の所見
〈所見〉は生徒の生活面や学習面の様子などを伝えるものです。一般的には通知表の中に記載されています。
夫は所見を書くことにものすごく抵抗を示し嫌悪していました。
提出期限が決められているにも拘らず、いつまでも白紙のまま。
いざ書こうとしても生徒1人目からつまずき、
「何も書けない」
「何にも浮かばない」
投げやりにそう言って攻撃的なため息をつき、苛立ち、結局気が散ってゲームに没頭・・・。
ひどい時は上長に嘘を言い、提出期限を延ばしてもらっていたようです。
※日頃の外面がものすごく良いので、嘘も通用してしまう。
毎日、長い時間をともにしていても、
夫にとって生徒は自分の理想・欲求をかなえるものたちという一括りであり、その一人一人について夫の視線は何も捉えず、心は何も感じ取っていなかったのだと思います。
空の自分を埋める代償と苦悩
上記のように、自分がないモラハラ夫はかなり強引に〈虚飾〉と〈擬態〉をくりかえしていましたが、歪んだ自己愛を満たすために掲げる〝理想〟を纏うことは、夫の心身にものすごい負担であったようです。
自らの欲求とはいえ、
自身の中に存在しないものを無理に体現し
常に過剰なほどの神経を注ぎ
一歩外へ出たら本来の自分を抑圧する日々。
もちろん、教師の仕事がかなり激務だということもありますが、夫の心や身体に襲い来るストレスは尋常ではないようでした。
だいたいそのストレスはモラハラに形を変えて私に向けられていましたが、今思えば、それは自身をも蝕んでいたようで夫の身体にさまざまな異変として表れていました。
腹痛や胃腸の不調
腰の激痛
脇腹の激痛
背中の激痛
歯ぎしり など
日常の動作に支障をきたすような痛みに頻繁に悩まされ、何度か病院で検査を受けたこともありましたがいずれも原因不明でした。
体調不良になることによってさらに精神的にも影響し、不安や苛立ちを頻繁に訴えました。
この頃の私は夫に必死に寄り添い、受け止め、いろいろ手を尽くしていましたがなかなか改善されませんでした。
きっと夫が仕事を無理しながらたくさん頑張っているからだと思い、夫も何かと〝家にいる妻〟に嫌味を言ったり責めるようなことがあったため、夫のために何もできない自分を追い込んでしまう傾向にありました。
私が夫のストレスを受け入れ、責任を取るような形になってしまったため、夫が自分で自分のためにストレスに対処するということは一切しませんでした。
原因は、俺以外のものすべて。
夫の欲求を少しでも揺るがすものがこのストレスだとし、さらに神経質に反応していました。
きっと今も夫自らの欲求が自身の心や身体を傷つけている一因かもしれないということは微塵も考えていないと思います。
空しい自分を埋めるための道具
私は端から夫の行為を否定するつもりはありません。
誰にだって〝よく思われたい〟〝評価を気にする〟という側面や裏表の二面性も少なからずあるからです。
また、得手不得手によって物事へのモチベーションが変わることも理解できます。
しかし、夫の場合その多くは
自身の歪んだ欲求を通すため
空の自分を埋めるため
自身に与えられた職務を利用し、そこに関わる人の心・存在自体を蔑ろにしています。
私はずっと、夫から良い顔で優しい気遣いや心遣いをしてもらえる生徒や保護者・同僚の先生がうらやましく、嫉妬していました。
でも実際は、
そのような人たちも私と同じように、夫を満たす道具として利用されていたのだということに気づきました。
歪んだ自己愛を満たすことに必死な夫にとって、他者への真の共感や責任・慈悲などに心を遣うことは理解できないのです。
作り物の心
借り物の言葉
どんなにすばらしく飾り、立派に真似ても
結局は人と安定した親しい人間関係が築けず、常に見えない敵と戦い自ら心身を傷つけてしまっているモラハラ夫。
自分を守ろうとして
大事なものを失い続けています。
今まで〝すばらしい先生〟が実像ではなくとも、夫を受け入れ、許し、親切にしてくださった生徒・保護者・諸先生方がいたはずです。
そのようなことにも一切思いを巡らせることなく、夫は今日も歪んだ自己愛のために生徒の前に立ち〝すばらしい先生〟のような振る舞いをしているとしたら、非常に胸が痛みます。