妻を徹底的に見下し支配する【悪魔の言葉】
前回、前々回と、
『俺の家』
『俺の時間』
というテーマで
モラハラ夫が妻を追い詰める常套句についてご紹介しました。
今回は〝俺の〟シリーズの最後
『俺の金』
についておはなしいたします。
夫の思考と行動の根底にあるもの
夫が妻を追い詰める
「これって俺の〇〇だよね」
という言葉。
夫が〝俺の〇〇〟と主張するものの根底の多くに、〝俺の金〟への強い執着と本音がありました。
夫の多くの言動・行動ににじみ出るこの本音は、
夫婦の生活や、妻の心にいびつな影響をもたらしました。
初めての『俺の金』発言
結婚して、まだ初期の頃だったと思います。
夜、電車に乗って映画を観に行くことになり、駅まで歩いていたのですが
夫が何かの話の流れで怒り出してしまいました。
※内容がまったく思い出せず。。
夫はよく、私の話の意図をまったく汲むことができず、おかしなところに突っかかったり急に怒り出すことがありました。
私は夫の怒りの訳が分からず、その都度
夫の誤解を解こうと修正や補足説明をしたり謝罪を重ねますが、夫の怒りは収まりません。
この時も、その例のひとつだったのだと思います。
しばらく立ち止まって言葉をかけ続けましたが夫はまったく聞く耳を持たず、とうとう
「映画に行かない」
と言い出しました。
私は触れられないほどに怒りに満ちた夫の様子に動揺しました。
それでもとにかく必死でした。
夫を怒らせてしまう意図はなかったけど、嫌な思いをさせて申し訳ないという気もちを伝えました。
そして、「映画に行こう」と声を掛けました。
すると、夫は
「俺の金でね」
私を睨みつけながら、そう言い放ちました。
これが初めて『俺の金』という言葉を聞いたときでした。
私は、このときの胸の痛みをはっきりと覚えています。
ふたりで協力して結婚生活を営んでいると思っていたのに、夫がこのような本音を抱いていたことに、とても大きな衝撃を受けました。
『俺の金』の主張に怯える日々
それから、夫の〝俺の金〟への執着・本音は随所に表れました。
「あなた俺と同じくらい稼げんの?稼げないだろ?」
「俺と同じくらい稼いでからもの言えよ」
「俺が稼いだんだから、俺の金だよね」
「俺は仕事してやってるんだから口出しすんなよ」
お金を作り出さない私は、
完全に夫から見下され、夫婦内格差を突きつけられました。
そして、次第に酷くなるその他のモラハラ行為も相まって、夫の本音に怯える生活になりました。
確かに正論、だけど
内容の酷さはどうであれ、夫の言うことは真実です。
私は稼いでいない。
急に夫と同じような金額を稼ぐことはできない。
確かに、働いた夫のお金です。
でも、
結婚したらふたりでお金を共有し、管理していくものだと思っていたので、〝俺の〟と強く主張されることに違和感や不安が拭えませんでした。
私は夫に対し〝お金を持ってくるのが当たり前〟などのような高慢で恩知らずな思いを抱くことは一切なく、そのような態度をしたこともありません。
日々、夫の仕事に感謝しており
その思いをいろんな形にしようと努めてきました。
それなのに、あえて
私が反論できない意地の悪い正論を突きつけてくることには、ものすごく傷つきました。
ここにいることに罪悪感
夫の本音や歪んだ正論を突きつけられたことにより、
私は自分の立場の弱さや、居場所の不安定さに恐怖心を抱きました。
〝お金を稼ぐ〟に匹敵する価値あるものを提供しなければ、
夫に〝ここにいてもいいよ〟と思ってもらえるような自分でなければ、
と追い込むこともよくありました。
そもそも、夫との子どもを授かりたくて
高齢妊娠にあたる年齢の身体に負担を掛けないように専業主婦をしていました。
でも、
お金を稼げない
子どもも授からない
このまま夫の思い通りのしあわせをもたらすことができなければ、私はいずれ夫から捨てられてしまうだろう。
私は、日頃の夫の心無いモラハラ行為によって自身の存在価値のなさを突きつけられていたため、そんな私が夫のお金を使うことには異常に緊張しました。
あとから、かかったお金を報告して請求したり、お金を受け取るときの異様な空気がとても嫌でした。
夫の不機嫌な表情や態度を目の当たりにすると、夫が私のことをどう思ってこのお金を渡しているのだろうと考えてしまい、怖くて仕方ありませんでした。
夫の許可がなければ、
夫のお金で、お腹を満たしちゃいけない。
夫のお金で、楽しんではいけない。
夫がいない時間は、なるべくお金をかけないように、夫よりもいい思いをしないようにという意識が常に働いていました。
本音を言えない
夫とは外食やお出かけをよくしました。
目的は、基本的には夫のしたいこと、食べたいものの願望・要望を満たすこと。
〝どこ行きたい?〟
〝何食べたい?〟
と一応は聞いてくれたりしますが、いつも私の要望は採用されません。
いずれにしても、
夫のお金を使うことなので〝申し訳ない気もち〟の方が先だってしまい、本当の要望は伝えられませんでした。
夫が気持ちよく「そうしよう」」「それ、いいね」と言ってくれそうな答えを精一杯探しました。
〝俺の金〟は俺のためのもの
夫は結婚生活が始まっても、
〝ふたりで生活するということ〟への意識がまるでありませんでした。
最低限必要な家財、生活用品について夫に伺ってみても冷たく無視か、ものすごく嫌な態度で突っぱねられました。
「俺には必要ない」
「不自由させてないだろ」
「あなたは感謝が足りない」
「不満なら出て行け」
ふたりに必要なものであっても、私が必要と提案するものには否定的な反応・抵抗を示し、お金を出すことを渋りました。
逆に、自身の〝うれしい〟〝楽しい〟〝気持ちいい〟を満たす遊びや娯楽へは、後先考えずにお金を使う傾向でした。
夫の生活は仕事以外のほとんどはケータイのゲームアプリ中心でした。
同じゲームにたくさんの課金をしている他人を羨み、夫は真似して課金が頻繁になりました。
私は次第にふくらむ課金の金額が不安になり、少し抑えてほしいと伝えました。
夫は、
「あなただってゲームで楽しい思いしたんでしょ?俺の金で」
と言いました。
もちろん私は課金なんてしませんが、確かにそのゲームをやりました。
夫と共通の話題ができたらいいかも!と思って覚えたのです。
自分の娯楽のためではなく
夫の留守中に点数を稼いでおくと、夫が喜んでくれたり、明るく話かけてくれるのがうれしかったからです。
夫から「俺がいない間がんばってね!」と言われ、私は夫の期待に応えようと頑張りました。
結局、私が純粋に夫との時間や空間を良きものにしようと思ってしていたことは、夫からは〝俺の金〟でゲームに興じていると捉えられていたのでした。
妻は泥棒?
私はケチなタイプではなく、遊びも楽しみも大事にしたいという考えでした。
そして、同時に
現実的に堅実に将来のことも考えていました。
これからの家やお金のこと。
子どもができたら、もっと年をとったら、、、
将来のことは、
夫といろいろな思いや言葉を重ねていかなければ話を進められません。
しかし夫は現実的な話、真面目な話に異常なアレルギー反応を示し、まったく取り合おうとしませんでした。
ふたりの将来のために提案し、始めた貯金や保険。
貯金に関しては、自分でいろいろ調べたり計算をした上で常識の範囲内の金額を提示しましたが、ものすごい嫌悪感を前面に出した抵抗に遭いました。
夫は、ふたりのための貯金や保険などの出費に対し、
〝俺の金が搾取されている〟
という強烈な被害者意識を持っていました。
「まだ俺の金を絞り取る気?」
「無い金出せって言うの?」
「あなたが必要だって言うから、やってやってる」
「金が足りない、かつかつだ」
私は数年間、ずっと夫の貯金額を知らず
夫から毎月生活費とお小遣いとしていただくお金しか使っていません。
※別居後知ったことですが、この金額は経済的DVに当たると指摘されました。
外食やお出かけについては夫の気分によるものだったので、私のおねだりやわがままではありません。
何にいくら使い、残金はいくらなのかは、夫が自分で把握していたはずです。
それなのに
〝あなたのせいで〟
〝あなたがこう言ったから〟
などと、常に堅実に暮らしていた私に強引に責任転嫁し、理不尽にお金の不満をぶつけてきました。
お金による支配関係
お金を稼ぐ俺=上
お金を稼がないあなた=下
私たちは対等ではありませんでした。
自分よりも経験豊かな人
自分よりもお金を稼ぐ人
自分よりも能力が優れている人
夫は一歩外に出ると、
必要以上に妬み・僻み・劣等感を抱き、異常なストレスをため込みます。
唯一、家の中だけが
夫が優越感に浸れる場所でした。
〝俺が養ってやってる〟
〝あなたはダメな人〟
『俺の金』の主張から、このようなメッセージを受け続けた私は、すっかり夫との支配関係から抜け出せなくなっていました。
〝これはおかしい〟という自覚は残っているけれど、心が損傷しているためにそれ以上立ち上がることができないのです。
「もっと金があればなぁ」
「金が欲しいなぁ」
などと、となりにいる私に向かって言うわけでもなく、かといって独り言にしては大きすぎる感じで頻繁に口に出しました。
不満気な大きなため息。
嫌味を含んだ言い方。
ものすごく心を締め付けられました。
〝私がいなければ、夫はもっと自由にお金が使える〟
そのような思いが頭を駆け巡り、
私は、その何ともいえない異様な空気に耐え切れず「ごめんね」と言ってしまいます。
夫は私の思いや言葉を否定してくれませんでした。
おわりに
夫は精神的暴力によって妻の恐怖心と不安感を煽り、支配・コントロールすることによって、自らの歪んだ欲求を満たしていました。
自己顕示欲の誇示
劣等感の払拭
経済的に弱い立場にある妻を徹底的に見下し、自分は特別で称賛に値する人間だと示し、強引に優位に立つことで自身の本来の劣等感から目を逸らし、自分を守っていたのです。