妻、やめます。

モラハラ夫と過ごした日々の回想録

モラハラ夫が私を選んだワケ〜妻の悲しい考察

モラハラ夫にとっての良い妻とは?


夫はなぜ、私を選んだのか。
なぜ、結婚したのか。

夫の歪んだ欲望を満たすために選ばれた妻。


そこにはどういったモラハラ夫の判断基準があったのか。


今回は、夫が過去に言った言葉や会話を思い起こし、私がモラハラ夫の妻として選ばれた理由を考えていきたいと思います。

 

5歳年上妻の純粋な疑問


出会った時の私たちは夫29歳(翌月30歳になった)、私は35歳でした。


世間一般的な見方だと

私は〝婚期を逃した〟とか〝売れ残り〟と言われるような年齢です。


容姿も肩書も、初対面で特別気を引けるようなものを持ち合わせていない私。


夫と同じような年齢の男性が、5歳年上の女性とおつきあいをし、結婚を決意するのはなかなかハードルの高いことなのではないかと思います。


夫が私とつきあい、妻としたのには

私の中の何に着目し、何を見いだしていたのか。

 

世間体と高いプライドを保てる


外面が異常に良いモラハラ夫は、
世間体や周りの目をものすごく気にします。

なので

自分が確立した〝素晴らしい俺〟を崩されることは絶対に許せません。


夫にとっての結婚は、お互いに大事なものを共有し共感するものではなく、世間に向けて自分を価値あるものに見せるためのステージだったようです。


容姿へのこだわり


「俺は結婚する人はちゃんと化粧できる人がいいんだよね」


そう、おつきあいしている頃から夫が何度か口にしていたことがありました。
その理由を訊くと、


〝保護者がちゃんと化粧をしてると、その子ども(生徒)もちゃんとしている〟


という持論を語りました。


「親が化粧してないと、子どもも何か変。かわいくない」

さらに、

「だからさ、ムギコがちゃんと化粧できる人で良かったよ。子どもがかわいくなかったら俺すげえ嫌だから」


夫の言葉にひっかかるものを感じながらも、そんなに深く受け止めず流していましたが、結婚して次第に夫の見た目へのこだわりを強く感じるようになり、嫌な気もちになることが増えました。

 

 

〝かたち〟〝見た目〟

 

これらが自身の基準から外れたものに対し、
夫はとても辛辣でした。



平気で道行く人の容姿をけなしたり
少しでも個性的な人を見ると軽蔑したり

 

時を経るごとに、その指摘は露骨になりました。


そのような夫の言動や態度の度に


〝私のことは本音ではどう思っているんだろう?〟



という不安を煽られ、居心地が悪くなるほどでした。

 

 

何気ない会話から、お互いに相手を選んだ理由についての話題になると、やはり夫は理由の一つに


〝化粧ができる人だったから〟


を挙げました。

 

一貫してブレないその主張には、自分がない夫がいかに世間体に強く依存しているかが分かります。


私はお化粧が特別上手というわけではなく、誰かの脳裏に素晴らしい印象を残すような容姿でもありません。


ただ最低限、
世間から浮かない程度の清潔感とセンスは保てるようにしているくらいです。


あんなに人の容姿に口汚く意見するくらいなので、本当の夫の理想としては、もっと若くて目立つ容姿の人を連れて歩きたいのだと思いますが、それでは世間から違和感を抱かれたり、自身の劣等感を煽られる可能性があります。


そこで、

特別人の目を引くわけでも、羨望されるわけでもないけれど、社会的には良識があるように見える私を選んだ。


おそらく夫にとって私は


夫よりも存在感が突出していない


夫に恥をかかせない


これらを両立し、自尊心もプライドも傷つくことなく連れて歩くことができるちょうどよい存在だったのだろうと思います。

 

ある程度の社会性の有無


おつきあいしていた頃、夫はよく、私が初対面の人と普通に会話したり、物事を処理する様子に対して「ムギコはすごいね」と言いました。


私としては、そんなに褒められるようなスキルがあるという感覚はまったくなく、実際、人並みから抜きんでていた実績もありません。


なので


この頃は、夫から褒められることがとても不思議でした。



結婚してから分かったことですが、

夫はある種の社会性が低く〝現実社会を生きる〟〝生活を営む〟ということを共有することがかなり困難でした。


例えば

  • 責任感がない
  • 自身の欲望を制止できない
  • 少しでも抵抗を覚えると殻に閉じこもる
  • 物事を思考できない
  • 自分の言葉で話すことができない

 

あくまで私の見解ですが、夫の場合、

夫家族の封建的な体制の中で育ち、いつまでも【子ども=下の立場】から抜け出せず、家族が整え、与えてくれた環境の中で生きる〝箱入り息子〟のまま成長してしまったのではないかと思います。


そこでは自身の意志も判断も必要ないため
自ら社会性のなさに気づくこともできないし、身につけようとも思わなかった。



でも、もしかしたら夫は

30歳を迎える年に初めて社会に出て教師になり、自身の社会性の低さによって生きづらさを感じる部分が多くなったのではないかと思います。


しかし、夫は今さら社会性を身につける術が分からない。


分からないことは聞く
知りたいことは調べる
足りないことは必死に習得する


異常に高いプライドとコンプレックスを有するモラハラ夫にはこれができません。


夫が歪んだ自己愛を満たし自分を守るには、


〝誰かを陥れ、その上に自分が立つ〟

もしくは

〝誰かを盾にして、未熟な自分を隠す〟


こうするしかなかったのではないかと思います。


おそらく夫は、私の中に
モラハラ被害者となりうる素質以外に、

年上で、社会的に夫が欠如している部分をフォローするような要素を見つけたのだと思います。

 

ありのままを受けとめてくれる


「ムギコはいつもニコニコしててすごいね」

「なんでそんなに穏やかでいられるの?」

「なんでそんなに優しいの?」


おつきあいしていた頃、これらも何度も言われました。


ただ単に、夫と一緒にいてイライラすることや怒りを覚えるようなことがなかったり、もともと夫と過ごす時間で長々と愚痴を吐こうと思わなかったからです。


「私だって怒る時は怒るよ」

「心が荒んでひどい時もあるよ」


事実なのでそう伝えましたが、
夫は「ムギコはすごい」と褒め続けました。


私は年上であっても、実際は夫の方が主導して引っ張ってくれていたので安心してついて行き、心を開いて(自分なりに)甘えていたので、夫に特別優しくしているとか、一方的に甘えられているという感覚はありませんでした。


しかし、おそらく先に書いたような封建的な家族の中で育ち、自己保身のために人と深く関わることをしてこなかった夫にとって、自分を無条件に受け入れてくれる人がいて、その人がニコニコとしあわせそうな様子でいるということは、私が思う何倍も何十倍も〝すごいこと〟だったのかもしれません。


結婚後。

夫は、いついかなる時も私の〝心の揺れ〟を許しませんでした。


〝いつも穏やかでニコニコしている私〟


これ以外の私は全否定され、夫に背く悪とされました。



おつきあいしている頃は、私の〝穏やかでニコニコしている良い一面〟を認めて褒めてくれているのだと思っていました。


しかし、実際は


ただモラハラ夫の自分本位な欲求・要望を満たす道具としての適性を試されていたのかもしれません。

優位に立てる

 

  • 年上の私と結婚してくれた
  • 夫の両親から結婚を許していただいた


結婚した時には既に、夫側の方が立場が上のような空気がありました。


夫とおつきあいを始めた時はもちろん上下関係はありませんでした。


しかし


夫の家族から交際の反対
 ↓
理不尽な中絶の強要
 ↓
結婚の許しをいただく


おつきあいを始めたことも、
妊娠したことも、

年上の私が一方的に夫をたぶらかしたように思われたため、私は結婚までの流れの中で、夫家族からものすごく醜く価値のない人間のように扱われました。


最終的にはいつのまにか、

〝こんな私を申し訳ない・ありがたい〟

と思うようになっていました。


今振り返って分かることですが、

もともとの気質に加え、さらに夫とのおつきあいの間に増長された私の自己肯定感の低さに気づいていた夫は、それを利用していたのだと思います。


心も身体も傷つき、絶望に打ちひしがれていた私にとって、それでも〝ムギコを守る〟と言って未来の明るい希望を熱く示してくれた夫には感謝ばかりであり、頭が上がりませんでした。


夫の〝俺の家族とムギコの橋渡しになる〟という意志を聞き、それを受けて私も〝夫の家族に受け入れていただける自分になろう〟と夫家族へ抱いたマイナスの心を流し改め、必死に頑張りました。


私が前向きに謙虚に頑張ればがんばるほど、夫にとって気もちよく優位な立場を確実で強固なものにしていったように思います。


結婚してから〝俺が上でお前が下だ〟ということを示してくる場面が数えきれないほどたくさんありました。


モラハラ夫にとって自分が『優位に立てる』ということはとても重要であり、それがかなう人材であった私は、夫の妻として適していたのだと思います。

 

親と上手くやっていけそう


「ムギコだったら、うちの親と上手くやっていけそうだったから」


お互いに、結婚相手として選んだのはなぜ?と話している時に、先にお話した〝お化粧ができる人〟と並んでよく出てくる理由でした。


普通の人でも〝親に気に入ってもらえるかどうか〟は考える人は多いと思うので、私は悪い気もちはまったく抱かなかったのですが、今、モラハラ夫というフィルターを通してみるとやはり悲しい理由だな、と思います。


結局は、夫自身の純粋な感覚で選んでいないのです。


自分がなく、夫家族の中の役割でしか生きていない夫は、自分で考え判断することができません。


夫家族にとって夫は

期待された〝長男〟であり
ものすごく優れた〝息子〟です


夫家族の思い描くすばらしい人物像になりきり、家族の中の居場所を保っている夫は、妻も夫家族に受け入れられそうな条件を満たすことが大事だったのだと思います。


実際、夫からのプロポーズの後、
夫家族から身上書の提出を求められました。

私に一目も会うことなく、息子が選んだという事実も信用せずに身上書で結婚の可否を判断されました。


夫が理想通りの役割を果たすためには、


親が気に入る良識的な見た目

判断基準を満たした社会性


これらがどうしても必要だったようです。

おわりに


誰にでも結婚相手を決めるときには、その人なりのこだわりや譲れない条件などがあるかと思います。

私にも少なからず意識的・無意識的にもこれは良いけど、これは嫌だというのはあります。


しかし、夫の場合には

その判断基準に顕著に特異な部分があったと思います。


おつきあいしていた頃は、私を選んだ理由を聞いても何だかしっくりこない部分があったりしましたが、こうしてモラハラ加害者の特徴・心理に沿って考えると夫が私を選んだワケが分かるような気がします。


悲しいことですが、私は

最愛の妻

ではなく

 

支配と抑圧によって

 

歪んだ自己愛を満たす道具

として、モラハラ夫に選ばれてしまいました。

 

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