妻、やめます。

モラハラ夫と過ごした日々の回想録

夫の実家で感じるモヤモヤのはなし~夫の家族編 

嫁は、他人< 家族?


夫がモラハラ加害者でなくても、

夫の実家との交流が上手くいかなくて辛い思いをしているという悩みを抱えている方は結構いらっしゃるのではないかと思います。

私もそのひとりでした。

 

理解に苦しむ夫の家族

さらに私を貶めるモラハラ夫。

 
夫の実家へ帰省した際に、いつも苛まれていたモヤモヤのおはなしです。

今回のテーマは
<夫の家族編><モラハラ夫編>に分けてお伝えいたします。


 <モラハラ夫編>はこちらです。

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夫の実家


夫の実家は、私たちの家から
新幹線や私鉄を乗り継いで4時間ほどの距離。

 

駅から少し離れると緑の色合いが増し、見通しの良い道路に田畑と民家が並びます。



夫の実家の周りは古くからの民家が並び、みんな顔なじみだったり、同じお寺の檀家さんも多かったようです。

あくまで私の主観ですが、狭い地域の中にしか通用しないしきたりや家々のカースト(?)が色濃く残っている感じでした。



夫の家はいくつも田畑の土地を持っていて、家の裏にも広い畑がありました。

近所の道の駅で農産物やお花を少し出荷していたようでしたが、本格的な家業ではありません。主に祖父母と企業を定年退職した義父が農業に従事していました。


義母は基本的には専業主婦。
農業を手伝ったり、地域や家のこと諸々をこなしていました。

 

あっさり崩された温かい家庭への希望


私は夫の両親の反対や中絶の強要など、
あまりにも理不尽な障害や苦悩を乗り越えて夫と結婚しました。

夫はふたり兄弟の長男。

(弟さん一家も実家と同じ県内に在住)



いずれは夫婦で夫の実家に帰り、家を継ぐというのが私たちの結婚の条件でした。

嫁ぐとき、嫁いだとき。

近い将来、永くともに暮らしていくことになる夫の家族の輪に、私は少しでも早く入りたいと思っていました。


家のしきたりやルールなど

覚えることがたくさんあり、これまでとはまったく違う生活環境を体になじませなくてはならない。

 

また〝東京から来た嫁〟というだけで相当なハンデを背負っていたので、まずはイメージの誤解を解くために人の何倍も努力しなければなりませんでした。

※私は〝純朴な息子をたぶらかした東京の年上女〟というイメージを持たれていました。



とにかく

明るく前向きに

良いコミュニケーションを心がけよう!



私は、夫の家族に抱いていた負の感情を捨て、新しい環境・家族との出会いに感謝し、夢と希望をもって結婚生活をスタートしました。


でも、

そんな思いが崩れるのはあっという間でした。

 


夫の実家へは基本的に、
お盆・お正月・GW・春休みなどの大型連休に帰省していました。

 

帰省のあとは緊張から解放され、
心がまともに呼吸をはじめようとするも、ずっと心のモヤモヤが邪魔をしていて異常な息苦しさが残るのです。

 

家族って?

嫁って?

妻って?

私ってなんだろう?



怒り・悲しみ・虚無感・恐怖・不安など



手放したはずの負の感情が
さらに重みを増して襲いかかりました。

夫の家族


義父は無口でした。

気が弱いとか口下手ではなく、
〝話したくないから話さない〟という強固な信念を感じました。

感情の読めない表情。
目の奥は笑っていません。


私は義父の声を思い出せません。
私は義父に名前を呼ばれたことがありませんでした。


義母は反対に社交性がある方。

ただし、
その社交性は時と人を選ぶ。

損得なのか、好き嫌いなのか。

私は義母のまったく違うふたつの顔を知ることとなりました。


ふたりになると、鈍感な人でも分かるくらい態度が豹変しました。


祖父は認知症でしたので、私のことは分からなかったと思われます。

祖母はとてもしっかりした方でした。

強引なところがあり、
人の心を考えずに振りかざす言葉の凶器に心が壊されました。


人それぞれ、生活環境や人間関係で価値観がちがうのは解かります。

でも、

平気で人の心をえぐることができるというのは考えられませんでした。

 

モヤモヤなできごと

嫁は金食い虫?

「言っとくけど、うち、お金ないからね」

と、ふたりの時に突然夫から言われました。


何でそんなこと言うのかと問うと不機嫌になり、歯切れの悪い返事。


夫自身の言葉ではないことは明らかでした。
ずっと夫のお金を運用したり預金の手配をしてきた義母から、そう伝えなさいと言われたのだと思われます。


帰省中に夫と出かけ、
欲しかったマスコットのキーホルダーを自分で買い、バッグにつけていました。

義母が私のマスコットを指さし、

「それ、買ってもらったの?」

と、冷たく険しい表情で聞いてきました。

私は精一杯の笑顔で「自分で買いました!」と答えました。

その時の横目で冷たい視線を残した表情が忘れられません。


また、

夫が夫婦で保険に入ったことをわざわざ義母に報告しました。


すると義母が


「あんまり余計なお金は使っちゃいかんよ」

と、私に向かって言ってきました。



私が強引に契約させたと捉えたのでしょうか。

 

私は一体どう思われてるんだろう?

お金を搾取するようなイメージを与えることなんてあっただろうか?



日々、堅実に慎ましく生活してるのに。

贅沢もわがままも言わない。

服も買ってもらったことないのに。


しかも、一度も夫の家のお金についてなんて考えたことがありません。


私について悪く誤解されているのを感じることに、いつも胸が痛かったです。

 

空気を読んで空気になる

いつも帰省の際は
駅まで義父か義母が車で迎えに来てくださいました。

 

久しぶりの再会ですから、
挨拶したりお互いの近況など、話すことはいろいろあると思うのですが、義父はほぼ沈黙でたまにポツポツと夫と話す程度。

義母は、夫がなかなか田舎へ戻ってこないことや日頃連絡がこないことへの不満や嫌味を吐き出します。


義父も義母も

私の存在はほぼないような扱い
です。


私は思い切って


「ご家族のみなさんはお元気でしたか?」

「弟さんたちはいつからいらしてるんですか?」

「先日はお米と野菜、ありがとうございます」


などと話しかけてみますが、



返事は「あぁ」「・・・」  

または、ちょっとトゲのある返事で会話がストップ。

 

どんな悲惨な空気でも、夫は我関せず。
私に助け舟は寄越してくれません。


最後に帰省した時は
あまりにも異常な沈黙の冷たい空気に心が参ってしまい、自然と涙が止まらなくなりました。

※その時の帰省は、そもそも別件で心が傷を負っていて、かなり緊張と恐怖に苛まれていたというのもありました。

 

最初の頃は、夫の家族と仲良くなりたくていろいろ話しかけたり、夫との生活を報告したりしてましたが、私が明るく楽しい顔をすればするほど、頑張れば頑張るほど空回りでした。


義父は私と話そうともしない。
義母は露骨に嫌な言動・態度を出してくる。


夫の家族に触れるうちにはっきり気づきました。


〝私はやっぱり歓迎されない嫁なんだ〟


この現実を突きつけられました。



すっかり自信を無くし

私はどうすればよいのだろう、とたくさん悩みました。

これ以上傷つきたくない。怖い。


そこで私は
空気になりました。


空気なら家族の邪魔はしない。

みんなが笑えば、私も控えめに笑う。


このように書くと自発的で前向きに聞こえそうですが、正直言うと、もう心が疲れてしまって、こうする以外ありませんでした。

 

子どもができない嫁はだめですか

帰省のたびに
祖母が手作りの梅干しをもたせてくれました。

 
「これ食べて。早く子どもね」

 
私は梅干しが食べられないのですが、

おばあちゃんの梅干しを頑張って食べたら赤ちゃんが来てくれるような気がして、毎朝一粒、必死に食べていました。

 


祖母は露骨に子どもを催促してきました。


私は帰省の時期になると
また赤ちゃんの報告ができないな、と苦しくなりました。

 

結婚1年目に流産したとき。
翌月の夏休みに帰省しました。


夫が実家に流産を伝えていたのですが、祖母は相変わらず。

私の心はおかまいなしでした。


義母は私に関わろうとしませんでした。
同じ女性ですので、少しは気持ちを汲んでくれるのではないかと思いましたが、まったくいたわるような言葉はありませんでした。

「心身がまだ不安定で」と自分からは言いづらく、かなり無理をしました。

 


結婚前に妊娠したときは
一方的に堕ろせと言われ

結婚したら
一方的に子どもの催促


かなり追い詰められていた私は


いっそのこと殺してくれ


と思うくらい辛かったです。

 

※子どもができないことへの強烈な祖母の言葉についてのエピソードは、またいつかお話いたします。

 

どこにでもある話かもしれないけど


嫁姑問題に代表されるような家族の問題は世の中にたくさんあるのだと思います。


しかし、

そう思って〝自分だけじゃないから〟〝みんなも頑張ってるから〟と、自分に起こったつらい出来事を自分ではなく、世間や周りのフィルターで判断し、我慢し続けていたら心が壊れてしまいました。


心の叫びを聞いてほしい夫は、自分にしか興味のないモラハラ夫。


夫に助けを求めたことで、さらに傷を深めていきました。


一つ一つの負のエピソードは小さなことなのかもしれません。

でも、

何か変だな
何かつらいな
何か悲しいな

という心の声に耳を傾けるのは必要だと思いました。


どこにでもある話かもしれないけど

みんな形のちがう心を持ち、その痛みは十人十色の感じ方、受け止め方があります。



〝人がどう思うか〟

と考えることも場面によっては大事な作業のひとつだけど


〝自分がどう感じているか〟


という自身の感情にも目を向けてほしいと思います。


それが正しいか歪んでいるかは、その都度答え合わせをしていけば良いと思います。

まずは、

ありのままの自分が感じたことを頭から否定せず、心を大切にしてほしいと思います。

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