その一言が命取り
とあるお正月
夫の実家に帰省していました。
夫家族の非情さよって平穏を取り上げられた空間。
夫の薄情によって不信と孤独に苛まれた時間。
いつも同じ。
心に傷を増やしました。
今回は、
そんないつもの帰省中に、私が言った『とある一言』によって起こった大惨事のおはなしです。
恫喝の恐怖に泣いた夜
この日は夫の叔父家族(叔父夫婦と大学生の娘さん)が遊びに来ていました。
叔父夫婦はとても気さくで明るい方々です。
和やかな会話
常識的なやり取り
良心的な交流に飢えていた私は、叔父家族にとても救われました。
たとえそれが社交辞令だったとしても、私に〝人として〟接してくれることがうれしかったです。
しばらくみんなで食卓を囲んだ後、夫から席を立つように小さく合図されました。
居間から離れた暗く寒い廊下。
夫が神妙な顔をしていたので「どうしたの?」と訊きました。
「〇〇ちゃん(夫のいとこ)にお年玉あげたほうがいいかなぁ」
急な夫の質問。
私は、今までいとこにお年玉をあげるという感覚がまったくなかったので、特に深く考えずに答えました。
「普通いとこはあげなくていいんじゃないの?〇〇ちゃん、もう成人式だって言ってたし・・・」
と、言葉を発したとき
一瞬で〝しまった〟と後悔しました。
胸を鋭く突くような痛みが走り、動悸に変わりました。
夫は大きく見開いた恐ろしい目で私を凝視し、ものすごく威圧的な口調で怒鳴りました。
「普通ってなんだよ。俺を馬鹿にしてんのか。偉そうに」
私は地雷を踏んでしまいました。
- 『普通』という言葉
- 否定的な意見
- 曇った表情
夫はよく「普通は」という言葉に過剰に反応しました。
何気ない日常会話の中でこの言葉を使ったことで、夫がものすごく激怒し大惨事になったことが何度かありました。
また、日頃から夫の言うことに対して少しでも否定的な要素を見せてしまうと、たちまち不貞腐れてイライラしたり、怒りを露わにして攻撃的に非難してきたりしました。
返事をするまでに少し間があったり、疑問を抱いて顔をしかめるだけでもダメなのです。
友人などの親しい仲で交わすような感じで「やだ~」「それはダメだよ~」というのも夫には通じませんでした。
いつもはなるべく地雷を踏まないように気をつけているのですが、この時は本当に自分を責めました。
私は、夫を不快にしたことへの謝罪と夫を馬鹿にする気もちは一切なく誤解であることを必死に訴えましたが、夫の怒りは激しさを増す一方でした。
「お前が言う普通ってなんだよ。ちゃんと説明しろよ」
「普通って、誰がどこで言ってんだよ」
夫は矢継ぎ早に質問を投げつけては答えを急かしました。
答えられないでいると、激しく恫喝。
答えようとしても一切聞こうとせず、さらに凄みをきかせて威圧的な言葉を重ねて阻みました。
あまりの恐怖に涙が止まらず、どうしたらいいのかまともに考えることができず、ひたすら謝罪をくり返して許しを請いましたが、夫の勢いは止まりませんでした。
散々激しい怒りの雨を浴びた後、夫のトーンが少し収まりました。
「今まではどうしてたの?あげてたの?」
「あげてない」
夫は不貞腐れた表情でそう答えました。
私は混乱し、
うまく考えることができませんでした。
「ごめんなさい。私はよくわからないからお義母さんとかに訊いた方がいいよ」
そう力なく答えてその場にしゃがみこむと、夫は何も言わずにいなくなりました。
その後、寝室で2人になると
夫は再びお年玉の話を持ち出しました。
「さっきの『普通』ってさぁー・・・」
夫はまた一から非難と意地の悪い問いを始めました。
私は言い訳も説明もせず、とにかく謝りました。
私が悪い。
全部悪い。
最後、夫は「分かればいい」というようなことを言い寝てしまいました。
私は、その時
許してくれた夫に感謝し、許されたことに安堵しました。
本当はおかしいことなのですが、私はすっかり〝悪いことをした自分〟という役割に入り込んでしまっていたのです。
おわりに
結局、お年玉はあげていませんでした。
誰かに相談したのかどうかは知りません。
そもそも、どうして急にお年玉をあげようと思ったのかも分からないままです。
でも、夫に改めていろいろ伺うのはものすごく危険なこと。
夫の地雷はいたるところにあり、
夫が何にどう感じるのかは踏んで傷を負わないと分からない怖さがあります。
普通の夫婦はわざわざ地雷を意識して会話はしない。
自身の思いや考えを伝えられない
聞いてもらえない
認めてもらえない
夫の思いや考えを聞くことも知ることもできない
日々怯えながら不自由なコミュニケーションに心を縛られ、理不尽に大きな傷を負う。
これが普通ではないということを夫がいつか分かってくれることを祈りながら努力しましたが、報われることはありませんでした。