それでも夫を待ち続ける妻
前回に引き続き、
〝夫を待つ妻〟をテーマにしました。
前回のおはなしはこちらです。
私は、気の遠くなるほどの時間を
夫を待つことに費やしていました。
それは
ここにいない夫を待つことだけではなく、
ここにない夫の心を待つ
ということでもありました。
寄り添いたいのに、近づけない夫の心。
〝いつかはお互いに心を交わせるはず〟
信じて待ち続けた妻と
絶望へ追いやる夫のおはなしです。
妻の心は汲みたくない夫
夫は、妻の心を思いやる・察するということをしませんでした。
夫にとって、
妻の心を思いやることは〝無駄〟なことです。
自身の歪んだ自己愛を満たすための存在に、わざわざ心を遣うのは夫に何のメリットもありません。
純粋な思いやりも心もかけてもらえない私は、ひたすら夫の心が自然と動くのを私は待ち続けなければなりませんでした。
テレビ・ゲームに飽きるのを待つ
夫の生活にテレビとゲームは不可欠です。
テレビをBGMにしながらゲームをするのが夫の至福のとき。
私がどんなに大事な話をしようとしても、
テレビやゲームが優先です。
〝俺の時間〟を侵害されることを嫌い
少しでもその気配を感じただけで、ものすごく凄んで突き放されました。
夫がゲームなどに熱中してしまうと、私はただの置物か家政婦でした。
夫のそばで
夫の心が曇らないような話題を振り、
おやつや飲み物を欲していないかを気遣い、
夫の口におやつを運びました。
あとは、
夫が必要な時に私を呼んでくれるのを待ちました。
ふたりで外出しても同じです。
私は夫の顔色を窺い、
つまらなそうな様子を察知すると、すぐにスマホを渡しました。
※夫は、私のスマホでゲームをしていたからです。
電車・カフェ・ファミレス・道端など。
2人でいても、私は空気。
夫といろんな楽しい話、まじめな話をしたいけど、夫の〝俺の時間〟を侵害しないように、黙って待ちました。
夫が私と外出する理由。
そのひとつは
私のケータイが必要だから。
さらに、ひとりで入れない店があるから。
私と一緒なら、
好きなカフェに行ったり、パフェを食べたりできる。
夫は純粋に〝私〟と外出を楽しむためではなく、自分の好きな環境で心置きなくゲームに没頭し、自分の用事・要望を叶え、満たすために私を必要としていたようでした。
私はいつからかそれに気づいていました。
途中、とても虚しくて悲しくて
その場から消えてしまいたい衝動に駆られることもありました。
でも、夫からの日々のモラハラにより、
夫から捨てられるかもしれない不安・恐怖にさらされ続けていた私は、それでも夫が私を必要とし役に立てるなら、と必死に耐えて応えようとしていました。
その場から消える・立ち去るイメージを頭に巡らせながら、夫のゲームの終わりを待ち続けました。
夫の心の声、おなかの言葉を待つ
夫は、私や物事への不満・悪口・非難・攻撃・願望・欲望などは、ものすごく饒舌で勢いがありました。
しかし、私との会話では、
自分の気持ち・考え・思いを述べることを頑なに拒否しました。
普通の会話であっても
言い争いであっても、
私が最も訊きたいところになると、
夫の本音や夫の心から発せられるはずの言葉が出てきません。
恐ろしい形相で
とにかく頑として黙ってしまうのです。
私は、夫の言葉を引き出せるように分かりやすくかみ砕いて質問してみたり、誘導してみたり、できるだけのことはしますがまったく響きません。
「ちょっと何言ってるのかわからない(怒)」
「なんであなたにそんなこと言わなきゃいけないの」
「時間の無駄(怒)」
「しょうもない」
「くだらない」
散々でした。
「お願い、一言でいいから何か言って」
「じゃあ、寝かせてください(怒)」
このやりとりは何度もくり返されました。
私は夫の心・おなかの中にあるほんとうの言葉が音となり、空気を震わせ動くことを心から待ち続けました。
求めてくれるのを待つ
夫婦の性生活の話です。
私たち夫婦は
性行為の回数に関しては、セックスレスではありませんでした。
※別居までの半年ほどは別の問題があり、セックスレスでした。
でも、
お互いが同じ気持ちで性行為を望んでいたかと言うと、それは違います。
私は夫の子どもがほしかった。
それと、
夫のとなりにいるという自信がほしかった。
夫も子どもをほしがっていました。
でも、
子どもを望むための性行為を嫌悪しました。
気が乗らないときはものすごく冷酷に私を拒絶し、恥辱する酷い言葉をぶつけられたことも何度もありました。
私だって〝目的のため〟ではなく、
いつも心身にゆだねて求め、求められたい。
なので、
最初から露骨に子づくりを求めたことはありませんでした。
子どもをつくることにも、
夫婦の心と身体のリズムが大事だと思っていました。
私は、心がめちゃくちゃになるまで拒絶されても諦められず、
「ごめんね、排卵日だったの。だからお願い」
「イチオは何度もチャンスがあるかもしれないけど、私は先が限られてるんだよ」
「いずれ、諦めなきゃいけない時がくるまでは心を合わせてほしい」
「イチオの心がどこにあるのか不安」
など。
逆効果だとはわかっていても、夫に訴えてしまいました。
夫には人の心が理解できないか、理解することをやめているようでした。
「あのさぁ。気分っていうのがあるんだよね」
「俺、そういうの(排卵日)意識してするのやなんだよね」
「自然にやってできないなら、それでいいんじゃないの?(怒)」
「(子どもはほしいけど、できてもできなくても)どっちだっていいって言ってんだろ(怒)」
「強制するな」
「さわんな」
「気持ち悪い」
「淫乱」
きりがありません。
夫からなんのオブラートもなく拒絶されるのは本当に耐え難く、辛かったです。
感情があふれ、
何度も何度も涙を流しました。
「俺から誘うまで、お前は何もするな」
「お前は俺がその気になるまで待ってろ」
夫は、そのようなことをよく吐き捨てました。
子どもがほしいと言うのに真剣に向き合ってくれないのは、なぜ?
私とのまじめな話も嫌悪を露わにして拒絶するのは、私との将来はないからなのでは。
何も説明してくれない夫。
私はひとりで不安と恐怖に悶え、
見えない夫の心の矛先に激しく嫉妬しました。
夫の欲望の波が来るのを待つ私。
夫の心は、身体は、
いつになったら、どうしたら
心を持った1人の女性として、妻として、家族として私を求めてくれるのだろう。
私は、夫から冷酷非道に突き放されても、
かつては感じた夫の愛情と
ふたりの子ども、という希望を捨てられず、
夫に手を伸ばし、声をかけ続け、
夫から求められるのを待ちました。
※かつては感じた夫の愛情・・・は私の思い込みであり、モラハラ夫には純粋な愛情が存在しないことは後から知りました。
本当の夫婦になれる日を待つ
夫への純粋な愛情、まっすぐな尊敬
それと、
拭えぬ不安、恐怖、緊張
夫を恐れながらも、
捨てられない愛情や忠誠心。
夫と心を交わすことができず、さらに待ち続ける日々での私は、夫のとなりにいることへの自信を失うばかりでした。
かけがえのないふたつの小さな命を失い、かつてとなりにいた心優しく頼もしい夫の姿を失い、自分自身の心も失いつつあった私。
常に失われていく日々。
ひとり、急に〝漠然とした恐怖〟に苛まれ、うずくまることもありました。
いつ、どうしたら
理解してくれるのだろう。
いつ、どうしたら
心が通うのだろう。
この不機嫌が過ぎたら、
この家を引っ越せたら、
ふたりに子どもが産まれたら、
夫婦いっしょにさまざまな経験を経て、ひとつひとつ乗り越えれば夫と本当の夫婦・家族になれるだろうか。
理不尽な夫の言葉と態度を受け止め続け、私がもっと人として成長したら妻として認められるのだろうか。
私は、夫とのあいだに困難・苦難が訪れると
〝私は試されているのかもしれない〟
と思うことも多々ありました。
私は〝どこにあるのかわからない、遠くの夫の心〟がここにあることを願い、報われない努力・辛抱を重ねては待ち続けるのでした。