モラハラ夫の特徴『つよい自己顕示欲と承認欲求』
人の大切な欲求である自己顕示欲。
人に認められたい、受け入れてもらいたい、褒められたい、、、と思うことは誰にでもあることで、社会で人と関わって生きている以上は自然なことだと思います。
しかし、夫の場合。
欲求へのつよい執着とその動機の方向性が特異でした。
今回はそんな夫の『自己顕示欲』に焦点をあてておはなしいたします。
自己顕示欲と劣等感
自己顕示欲が表から見える【陽】
劣等感は内に秘めた【陰】
自己顕示欲と劣等感は背中合わせの関係にあると私は思います。
劣等感は自己顕示欲を呼び、
自己顕示欲は劣等感を強く意識させる。
夫の自己顕示欲・劣等感は、人一倍激しいものでした。
それらは、となりにいる妻の心を振り回すだけでなく、夫自身もあえて生きづらい環境を作り出し、そこにどっぷりとはまって抜けられないような感じでした。
とにかく目立ちたい・主役になりたい
合唱コンクール・運動会
夫は、とにかく自分が担任をしているクラスを優勝させたい。
頑張っている子どもたちの心を汲んで鼓舞することは悪いことではないのですが、夫の目的は生徒のためではなく、自分のためでした。
- 優勝すると、教員の評価が上がる
- 周りの先生に勝ちたい
- 生徒にちやほやされたい
- 保護者に良く思われたい
- 合唱コンクールで優勝して、自分を舞台にあげてほしい
- 運動会で優勝して、胴上げしてほしい
何気なく発する夫の言葉や態度からは、このような本音が容易に受け取れました。
学校行事の意義に背き、生徒のためではなくあまりにも自分本位な本音に、保護者や生徒に申し訳ない気持ちになることもありました。
ある年の運動会の後。
夫は先生方のオフィシャルな打ち上げを欠席しました。
夫が飲み会をさぼるなんてあり得ないことです。
驚いて、欠席の理由を問うと
「どうせ行ったって、優勝した先生が楽しいだけだから行きたくない」
怖い顔で口をとがらせ、そう言い切りました。
みんなで運動会の成功を労う会なのに、夫は自分が主役になれないからといってあっさり欠席したのです。
文化祭実行委員長
夫はその学校に在籍した7年間中3~4回、文化祭実行委員長を務めていました。
夫はただでさえ多くの仕事を抱えていたので、
〝職務分掌はどうなっているのか〟
〝なんで夫ばかりにこの役職が回ってくるのか〟
と不思議に思い、
夫に「これって持ち回りじゃないの?」と聞いたこともありますが、怖い顔で睨みつけたりで、ろくに返事をもらえませんでした。
ある年に一度、他の先生にその役職が移りました。
文化祭の打ち上げから帰った夫。
日頃、飲み会の話を私から聞いてもはぐらかし、あまり教えてくれない夫が珍しく自分から口を開きました。
「うらやましい」
「やっぱり譲らなきゃよかった」
乾杯の際、実行委員長を務めた先生が代表で挨拶をしたり、周りの先生方から労われている様子がものすごくうらやましかったそうです。
夫は、目の前に与えられた大事な業務を犠牲にしたり、迷惑をかけてでも自分が気持ちよくなれる役職を選び取っていたのです。
夫は自分の好きな仕事は抱え込む傾向がありました。
本来は、新人の先生に引き継いだり分担するような仕事であっても、自身が好きで執着していた仕事は手放そうとしませんでした。
保護者会
新年度が始まり
初めての保護者会を控えた前日深夜。
「これを明日までに教室に貼りたい」
クラスの生徒一人一人の目標などが書かれた大量の短冊状の紙。
それと係や委員会、給食当番表、その他の掲示物。
これらを今夜中に貼り、教室の見栄えを良くしたいとのことでした。
毎年、新年度になると
私は掲示物に色を付けたり、作成するお手伝いをしてきました。
夫に頼まれて、役に立てるのはとても嬉しいのです。
でも、日頃何かあると
「部外者のくせに」
「救育を学んだことないくせに」
「あなたに何がわかる」
と突っぱねたり、質問しても無視する夫が、自分の手柄のためだけに私を呼ぶのは、内心複雑でした。
「あした保護者来てさぁ、これ貼ってあったら印象良くない?」
「絶対、いい先生だと思うよね?」
「他の先生はまだやってないから、やりたいんだよね」
出てくる言葉はすべて、自分に返ってくる利益のことばかり。
夫は自分本位な欲望をみたすために、自分で抱えきれない仕事を無理に背負い、〝部外者の妻〟を巻き込むことが多々ありました。
夫の役に立ちたいと尽くす妻の心を知っていて、それを利用されていました。
新婚フィーバー
私たちが結婚した年、夫は中学3年生の担任でした。
高校受験をひかえ、担任の結婚に不安を抱かせてしまったこともあったようですが、みなさんとても温かく祝福して下さいました。
手作りの色紙やお手紙をいただくなど、生徒さんの心遣いには私も感激しました。
夫は、みんなから注目されることがとても気持ちよかった様子でした。
毎日、昨日の夕飯は何だったかをみんなに発表するのがクラスの習慣になっていたり、結婚指輪をクラスみんなに回してみせたりしたそうです。
そんな夫は結婚前、
結婚指輪をつけることを渋り「ムギコの分だけ買えばいい」とまで言い放ち揉めたことがありました。
それくらい結婚指輪に抵抗があった夫なのに、結婚後、生徒から注目されたことですっかり変わり、毎朝欠かさずつけていくようになりました。
私の気持ちに応えてくれたのではなく、
ただ自分が注目されたいから、というのはとても悲しいです。
結婚を祝福してくれた子供たちが卒業した後は私たちの結婚フィーバーも落ち着き、新1年生を受け持つことになりました。
夫は毎日「つまらない」「やる気ない」を連呼していました。
教師も人間なので、生徒の中にも好き嫌いや合う合わないはあるとは思います。
しかし、夫の場合は
明らかに自分本位で生徒を判別していました。
自分をもてはやしてくれる生徒はかわいいけれど、そうでない生徒には無関心か嫌悪感を抱き、対応に差があるように私には見えました。
勘違いの万能感
2回目の卒業生を送り出した後、夫は
「俺はクラス運営がうまい」
「俺は完璧だ」
「もう教員として学ぶことはない」
などと、何度も言い切っていました。
夫からは〝部外者〟呼ばわりですが、
生徒さんが無事に卒業していくことは、私にとっても何とも言えない感慨深いものがあり、またほんの少し、ホッとするときでもあります。
その月日を振り返れば、
絶え間なく揺れ動く不安定な夫の心、体調不良、さまざまな問題への対処、躓き、、、本当に毎日綱渡りのようなギリギリの状態でした。
それを乗り越えた夫に尊敬や感謝の気持ちはたくさんありますが、そんな3年間を終えられたのは周りの先生方の支援や励ましと生徒さんの成長や理解、そして恐れ多くも、私も陰ながらサポートしてきました。
夫は仕事でも家庭でも俺は特別・俺は絶対という信念が強く、その信念から逸れたマイナスな物事が降りかかると、周りを犠牲にして悪者扱いしました。
やたら人の目を気にする
夫は〝周りからどう見られているか〟ということにものすごく敏感でした。
〝周り〟というのは、夫の職場・家族、夫と関係のある人たち、つまり、夫にとって何かしら自分の評価に関わる人々のことです。
目立つためなら人を蹴落とす
夫は、本当は人が嫌いです。
人に興味がありません。
自分にとって気持ちよく、
利益をもたらしてくれる人間関係はかろうじて保ちます。
なので、お酒は好きじゃないけれど、やりかけの仕事を犠牲にしてでも、体調が最悪でも飲み会には頻繁に行きました。
- 自分がいない場で悪口を言われるのが嫌だから
- 何かあったとき助けてもうため
悪口を恐れていた夫ですが
ある別の教員が悪口のターゲットになっていた時期、自ら積極的に飲み会に行っていました。
その頃の夫は、心なしか生き生きしていて楽しそうでした。
きっと、悪口を言うとみんなが自分に賛同や注目が集まって気分が良かったのと、自分が悪く言われる心配がないと思って心が大きくなっていたのだと思います。
愛妻家を装う
私の両親や知り合いの前など、誰かの目がある場所ではとても愛情深い紳士でした。
手を強く握り、体を寄せ、耳元で優しい言葉をかけるのです。
低姿勢で穏やかに私に寄り添う夫の姿を見た人誰もが、ステキな夫婦・やさしい旦那さんだと言いました。
私の知らないところでも、夫の愛妻家ぶりはとても評判になっていたらしく、身に覚えのない愛妻家エピソードがあったことを後から知りました。
不妊治療の嘘
先の、ものすごい愛妻家を装うという部分に繋がることなのですが
夫は職場の人たちに〝不妊治療を始めた〟と嘘をついていたことが後から分かりました。
私たちは不妊治療どころか、
毎月の排卵日を意識することにも異常な嫌悪を示したり、私に屈辱的な言葉をあびせることも何度もありました。
さらに、夫が不妊治療宣言をしたとされる時期は完全に夫婦生活がありませんでした。
私が必死にお願いしても、話し合いを求めても
まったく取り合ってもらえず、拒絶され続けていました。
〝夫の不妊治療宣言〟があったことは偶然、夫の先輩教師から知りました。
先輩教師は、
夫が年上の妻を思い、いたわる心やその決断にものすごく感心し、称賛していました。
周りの先生方もものすごく夫を褒めていたそうです。
自己顕示欲に執着し、夫は妻を裏切り平気で大嘘をついていたのです。
強すぎる自己顕示欲。実は鎖?
夫のもつ『自己顕示欲や承認欲求』は周りを傷つけたり、迷惑をかけるだけではなく、夫自身も無意識の内に苦しめられていたのではないか、と思います。
夫は、常に
〝〇〇に打ち勝つため〟
〝〇〇より上であるため〟
〝つよい劣等感を打ち消すため〟
ありのままの自分ではいられなかったのではないか。
私なりに夫のとなりに寄り添い続け、夫の良いところも弱さも見てきました。
良いところは心から尊敬し、賛辞を伝えてきました。
弱いところもできるかぎり受け止めて理解しようと努め、夫のプライドを傷つけないように支えてきたつもりでした。
しかし、
夫の心の根底にあるものがあまりにも強固であり、闇の深いものであり、私はそれらを打ち砕き、光を当てることができませんでした。
別居し、荷物を整理する際、
この卒業証書も処分するつもりでしたが、夫が欲しいというので置いてきました。
「俺がもらったものだから、俺のだよね」
何でもとっておきたがる人でしたので、これも過去の自身の歪んだ欲求を満たす何かのひとつになるのだと思います。
もし、本当にこれらを少しでも大事に思う心があったのなら、今ごろ夫婦の関係はもっと違うものだったと思います。
モラハラ夫の【劣等感】についての記事はこちらです。