初めての帰省で早くも将来を憂う
結婚して初めての夫実家への帰省。
膨大な緊張と不安を抱きながらも
将来ともに暮らすことになる夫の家族に受け入れていただきたい、親しくなりたいという思いがあり、ささやかな希望と並々ならぬ決意をもってその時を迎えました。
しかし、そんな私の思いはあっけなく撥ねつけられることになりました。
今回は、初めての帰省での小さなエピソードをおはなしいたします。
帰省への妻の思い
夫の家族にお会いするのは、秋に結婚式を挙げて以来。
結婚式の際の夫家族の冷たさや非常識な態度で受けた心の傷は完治に至らず、思い出すたびに心をえぐりましたが、
〝慣れない場だったから仕方ない〟
〝これから心を深めていこう〟
〝嫁として至らない自分を改めよう〟
なるべく夫家族を責めないよう、自分に言い聞かせました。
正直、行きの新幹線は〝吐きそうなくらい〟の緊張と不安でいっぱいでしたが、
〝明るく、素直な心をもって頑張ろう〟
このような前向きな思いも紛れのない本心でした。
妻を不安に陥れる夫
最後に夫の実家を訪れたのは、結婚の許しを得るために来たときです。
その時は母屋ではなく、後から建て直された廊下続きの離れに通されたため、母屋に上がるのは初めてでした。
とにかく勝手がわからない私。
夫が頼りでしたが、夫の応対は終始ものすごく不親切で冷たいものでした。
〝イチオは何で不機嫌なんだろうか〟
〝私、何かしちゃったかな・・・〟
〝質問しちゃいけないの??〟
夫の様子の真意を確認できないままでしたが、私は見よう見まねで慌ただしい正月準備に加わり、周りに必死についていきました。
夫はどれだけ時間が経っても冷たいままでした。
みんなの話の輪に加わって場を明るくしようとしても、夫は冷めた目で私をちょっと見るだけで、私の話を拾おうとも広げようともしてくれませんでした。
夫に同意を求めても無視したり、薄い反応。
訳の分からない酷い仕打ちに心の中では大号泣でした。
妻を放置する夫
食事の後、義母にお風呂に入るように言われました。
家族の序列を考えると、嫁がこんなに早く入ってしまっていいのだろうか?と思って遠慮したのですが、祖母からも強めに入るように言われたため、恐縮しつつ慌ててお風呂に入りました。
お風呂から出てくると、居間には誰もいませんでした。
人の声も聞こえず静か。
少しそこにたたずんでいましたが人の気配というものをまったく感じなかったため、離れの私たちの寝室に戻り、夫が来るのを待ちました。
だいぶ待ちましたが、なかなか夫は来ません。
私は再び母屋に戻り、夫を探しに行きました。
すると、さっきは誰もいなかった居間からにぎやかな声が漏れていました。
引き戸を開けると、
夫の祖母、義母、夫の弟夫婦、そして夫がいました。
その画に一瞬、胸が痛みましたが
明るく振る舞いました。
みんなの動きが止まり一斉にこちらを見たので、私は明るく夫を探しに来たことを伝えました。
私もその輪に入ろうと思ったのですが、なんとなく解散状態になってしまいました。
夫と寝室に戻り、
〝なぜ、私を探してくれなかったのか〟
〝私がいないことに何も思わなかったのか〟
などと問いましたが、
夫はいつものように目に怒りを湛え、口を一切開きませんでした。
- 初めての帰省で不安と緊張でいっぱいなこと
- イチオの家族と仲良くなりたくて努力しているのに、イチオが協力的でなく冷たくてつらいこと
- みんなの団らんの場に入りたかったこと
私は夫に思いを伝えました。
しかし、夫はひとつも私の気もちを受け止めることなく、自分が責められているということに過剰に反応し「俺が悪いって言うのかよ」と凄みました。
私は夫の怒りに対し〝そういうことを言いたいのではない〟と否定して再度自身の気もちを伝え、夫の気もちを問いましたが、さらに威圧的な態度で怒り出しました。
しばらくそのような状態が続くと、夫は
「母親が、『ムギコさんは初めての帰省で疲れてんじゃないの』って言うから」
と吐き捨てました。
どのような流れで、どのような空気でその会話がなされたかは想像の域を超えませんが、その会話の様子をどう思い浮かべても悲しくなりました。
「だったらなおさら心配して様子を見に来るとかしない?」
「どこ行ったかな、どうしてるかなって心配しない?」
私は、夫の中にあってほしい優しさや愛情を引き出そうと必死に訴えましたが、夫から出てくるのは私への非難だけでした。
「疲れてるだろうと気遣ってやったのに、そういうのが伝わらないって悲しいよね」
「あなた人としてどうなの?」
「俺の実家でそういうのやめてくれる?」
夫の恐ろしい顔と怒声、
夫のまったく心を理解しようとしない姿勢。
私は結婚してから度重なる夫の共感力のなさと、かみ合わないやり取りに心が混乱し疲弊していました。
ハードな初帰省
初帰省の前、私はインフルエンザで苦しみ病み上がりでした。
体調がまだすぐれず、帰省のために体力を温存したかったのですが、夫は帰省前日に初詣に行くと言い出しました。
夫はどうしてもお寺近くの有名などら焼きを実家に持っていきたかったらしく、それを聞いてから私が行くのを拒否したら、きっとものすごく嫌な空気になるだろうと思い、心身奮い立たせて行きました。
不安定な体調でしんどくても、
実家についてからそのようなそぶりは見せられません。
実家に着いて荷物を置くと
そのまま一息つくこともなく、動くことになりました。
氏神様・檀那寺への参拝
神棚・仏壇の掃除やお供え
代々深く信仰し、その地域一帯がその信仰で繋がっているような感じでした。
これからここで生きるにはしっかり引継がなくてはならないので、私はその手順や作法を頭に入れようと、真剣に観察しました。
家族の食卓の準備
これも覚えることがたくさんあって大変でした。
似たようなお箸を誰のものか覚えたり、使う食器やおかずの盛り方。
誰がどこで何時に食事をとるのか、誰がどれくらい食べるのかなど、家庭のルールを一気に頭に入れなければなりませんでした。
分からないことを前もって質問しても「そんなの適当でいい」と言われ、適度にやっても結局は「ムギコさんちはこうなの?ウチはこう」とひとつひとつ訂正されていきました。
いろいろ思うことはあっても
抵抗するより慣れなくては、と思い必死についていきました。
挨拶まわり
結婚して初めての帰省だったため、
親戚やその地域の権威がある家(?)を車で何件もまわりました。
夫と義母と私。
車内では次に行く親戚の関係性や何をしている方たちなのかなどを聞きましたが、正直多すぎたり複雑すぎたりで覚えられませんでした。
「長男のイチオが結婚しましたのでご挨拶に・・」
と義母が切り出すと、大抵
「どちらの方なの?」
と聞かれました。
「東京です」と答えると、何だか微妙な空気が流れました。
夫の家族だけでなく親戚も、地域外の人間にはなんとなく排他的な思考をもっているようでした。
そして当然のように
「子どもは?」
「次は子どもね」
と言う方たち。
私の祖父母でさえ、子どもを急かすようなことを言いませんでしたが、夫の実家の方では当たり前のように〝子ども〟のことを言われました。
私は心が締めつけられながらも、笑顔で明るく応えました。
精一杯でした。
初めての環境
あたらしい人間関係
どこも気を抜かず、心身を止めることもなく
妻として、嫁として
さまざまな思いを胸に明るく前向きに頑張ろうと奮闘しましたが、夫には何も伝わっていませんでした。
それどころか
助けや協力を求めても、安らぎを求めても
帰省中は終始冷たくあしらわれ、私の心は支えを失いひどく傷つきました。
夫の実家と私の懸け橋になる
ムギコを必ず守る
私と私の両親に、そう力強く言い放った夫の姿はどこにもありませんでした。
帰省は将来の私たちの生活をほんの少し垣間見ることができます。
嫁の役割
嫁の立ち位置
生活の流れ
夫家族同士の関係性
夫家族の人間性
そして、夫の様子
最初の帰省で見たもの、聞いたものは
私の心を暗く重くさせ、希望に影がかかりました。