妻、やめます。

モラハラ夫と過ごした日々の回想録

両家顔合わせでみた地獄〜モラハラ夫と私、それぞれの歪んだ心

地獄のような顔合わせの中にあったモラハラ夫と私の問題点


いろいろあった私たちですが

既に新しいアパートで同居して3ヶ月が経ち
結婚式場を予約し
結婚指輪や式に向けた諸々の準備をすすめる

など

どれもスムースではなかったものの
少しずつ現実的に夫婦・家族となる形ができ始めていました。



そして、入籍を翌月に控え
私たちは両家の顔合わせの席を設けました。


それぞれの父親から婚姻届の証人としてサインをいただくことも予定しており〝正式な夫婦になるんだなぁ〟と思うと、とても感慨深いものがありました。


私の両親、そしてもちろん夫のご両親にも
良い時間を過ごしていただきたいという思いでこの日を迎えました。


しかし、そんな思いに反して
顔合わせの場は地獄のような様相を呈し

今思えば、前途多難の結婚生活を予告しているかのようでした。



今回はこの顔合わせの様子、また、今この時のことを振り返って見えてきたモラハラ夫と私のそれぞれが抱えていたと思われる歪んだ心について考えていきたいと思います。

なんとなく撒かれた不穏


顔合わせの数か月前。

結婚の許しを得るために夫の実家に行きました。


一通りの流れが終わると夫の父親は無言でさっさと部屋を出て行ってしまったため、夫は急いで母親を呼び止めました。


「顔合わせしようと思うんだけど・・・」


そう伝えた時に母親が一瞬見せた拒絶の表情に、ちょっと胸が痛みました。


「私はいいけど・・・お父さんはどうかな。一応伝えるけど・・・」


夫の母親は父親に伝えるのは気が重いというようなことを言っていました。



そして、顔合わせが迫ったある日。


「うちの父親がスーツ着たくないって言ってるからスーツは着ない」


というようなことを突然夫から言われました。



私の父親が顔合わせに合ったスーツを用意しているのを知っていたので、その旨を伝えるのはちょっと心苦しかったです。

両親は〝急に?何で?〟〝なんかあったの?〟と驚き戸惑った様子を見せましたが、父親は〝やっぱり相手様に合わせないとな〟と気持ちよく承諾してくれました。



しかし、その数日後


「やっぱりスーツ着てくって」


という唐突な報告。


「スーツでなくても大丈夫だよ」


と伝えても、今度は頑として〝スーツ〟を押し通されました。


私の両親には「イチオもすごく恐縮してたよ」と一言も言っていない嘘を付け足し、夫の家族に対して心象を悪くしないよう明るく振る舞いました。



いずれも小さなことではありますが

なんとなく心が陰るのを感じ
それと同時に〝私がしっかりしなければ〟という思いを強くしました。

明らかにばら撒かれた不穏


会場は都内のホテルの中にある料亭。

私は着物の着付けのため両親と早めにホテルに入り、夫は新幹線に乗ってくるご両親を東京駅まで迎えに行き、そこからタクシーでホテルに向かうという段取りでした。


着付けが終わり、
期待と緊張を共有しながらロビーで待つ私と両親。


ホテルは閑散としていたので、正面玄関から入ってきた夫たちの姿はすぐにわかり、私たち家族は歓迎モードで明るく歩み寄って行きました。



その時すぐ、瞬間的に不穏な空気を察知しました。



私たちとは対照的な夫たちの姿


私たちの姿をしっかりとらえているはず目は何も見えていないのか、顔色をひとつも変えず、無表情のまま静かに歩いてきました。



私も両親もそれぞれ深く頭を下げながら明るく挨拶し、遠くまで来ていただいたお礼と感謝を伝えました。



ところが

夫のご両親はやはり無言のまま。


近くで見ると、よりその表情の奥行きのなさや冷たさが分かりました。


長旅で疲れているのかな
緊張しているのかな

スーツのことを気にしているのかな


でも、どれも何か違う感じ。


夫のご両親からは明らかな嫌悪や敵意のようなものを感じました。



結局、夫のご両親の声を聞くことがないまま

重く恐ろしい空気を携えて料亭まで移動することに。



そのホテルは素晴らしい日本庭園を有していて、その風流な空間を楽しみながら歩く様子を思い浮かべていましたが、到底程遠い画となってしまいました。



会ってからずっと、まるで空気と化している夫。

私は助けを求めるように話題を振ったりしましたが、夫はそれを拾わず、私を一瞥しただけでほとんど黙ったままでした。


〝みんなに何か話しかけてみよう〟

そういう思いはあるのですが


ご両親たちと微妙に開いた距離、庭には目もくれない様子、佇まいから漂う重い空気を目の当たりにしてしまうと、どちらかというと社交的な私でもあらゆる機能がフリーズし、言葉を形にすることができませんでした。


このとき、私と同じように夫のご両親のただならぬ空気にひどく困惑しているであろう私の両親にはせめて安心してもらわなければ、と思い必死に平静を保ち明るく振る舞いました。


とてもお祝いの席に向かう一団とは思えませんでした。

地獄のような顔合わせ


会食は終始、ひどい緊張と苦悩を伴いました。


私と両親は担当の仲居さんの明るい仕切りに頼りながら場を温め、夫のご両親の重く鋭い空気をほぐそうと一生懸命でした。


私は両隣の父と母を交互に援護したり、両親も奮闘してくれていましたが、会話の種火はすぐにくすぶってしまいました。


目の前の夫はというと、、、

ただただ静かで大人しく、まるで別次元にいるように遠く感じました。


仲居さんの進行で結納品の交換やちょっとしたおめでたいサプライズもありましたが、ご両親を見ると


冷めた反応
曇った表情
後ろ向きな空気


本当は一つ一つに感じる喜びやしあわせを表に出したいのですが、夫やご両親との温度差に委縮してしまう場面が多くありました。



何とか会食が終わり、
みんなはホテルのラウンジへ。

私はホテルの更衣室で急いで着替えを済ませ、着物の片づけを母親にお願いして急いでラウンジへ向かいました。


天井が高く、明るくて見通しのいいラウンジ。


私の目に飛び込んできたのは
身振り手振りを交え、ひとり明るく話す父親の姿。

まるで、並べた人形に独り言を放っているような異様さに胸が潰れそうになりました。


結局、家族同士の親交を深めるどころか、何か硬くとがったもので心を破られて見えない血を流したような惨状で顔合わせは終わりました。

まだ続く地獄。孤独と不安と困惑


その後、夫と私は夫のご両親を東京駅まで送ることに。


タクシーの車内。
新幹線を待つホーム。


相槌を打っても
会話に参加してみても

私に完全に背を向けて目を合わせないご両親。


夫もまったく助けてくれませんでした。


どうしたら良いのだろう、と考え

せめて親子の空気を壊さないよう邪魔しないように静かな笑顔をたたえ、精一杯穏やかな空気でいることに徹しました。


そして、最後のお見送りは

ご両親の耳には響かない、目には透けてしまうと分かってはいましたが、明るく声を張り、大きく手を振り、深く頭を下げました。

 

 

両親同士は初対面。
私だってまだ数回お会いしただけだ。

どの家族も多かれ少なかれ、最初はギクシャクすることもあるだろう。


そう思って流したい。


でも、あまりにも尋常ではない空気に晒された自分の感覚を誤魔化したり騙したりすることは難しいことでした。



ご両親を見送った後、私たちはファーストフード店へ。



まずは私の方から今日の感謝を明るく伝えました。


しかし

夫の反応は薄く、かなり冷たいものでした。


今終えたばかりの大きなイベントに対する言葉が一言も出てこない夫の様子に、私の心にあったわずかな希望も無惨に払われました。



〝何がいけなかったのだろう〟

 


いろんな場面を振り返りながら心配になり、ご両親そして夫に対して感じたことを少し伝えました。


すると夫は


「何が?」
「別に」
「俺はすごくいい会だったと思うけどね」


鋭い目つきで一瞬にらみ

言葉とは真逆のかなり感じ悪い抑揚で返ってきました。


明らかな怒り・苛立ちの理由を聞きたかったのですが、夫が醸し出す空気からは〝これ以上話しかけるな〟いう強固な意思を感じてやめました。

今だから感じる夫の心、親への罪悪感と自己保身


夫はなぜ、

終始無口で私たちに素気なく冷たかったのか。

なぜ、

私に苛立ち不機嫌だったのか。



この時の答えは結婚生活を経た今は少し分かるような気がします。



おそらくひとつは

行きのタクシーの中で、ご両親から〝東京まで自分たちが出向かされたこと〟や〝わざわざ面倒なことに参加させられること〟などへの不満をぶつけられていたのではないかと思います。


夫も両親を招待するということで張り切って準備していたので、最初から心が折れてしまったのかもしれません。



そして、もうひとつは


親への忖度

親の機嫌を損ねないため
親の期待に応えるため


親に嫌われないように、失望させないように親の思いを汲んだのではないかと考えました。



どういうことかと言うと


親が顔合わせに気乗りしていない
親が私や私の両親のことを嫌悪している


このようなものを察知した夫は、


俺も親と同じ思いだよ
俺はムギコの家族に魂を売っていないよ
顔合わせは俺も必要ないと思ってたよ


私たちに向けて冷たく白けた対応をする姿を親に見せることで、上記のようなメッセージを発信し、親の気もちを満たそうとしていたのではないか、ということです。



おそらく幼少の頃からずっと親の愛情や承認を得るために必死だった夫は、親の欲求・要望に応え続けなければならなかったと思われます。


以前、『モラハラ夫を育む親の正体』という記事でも考察しましたが、ご両親にとって大事なのは息子のしあわせではなく、


自分たちの安心・安全
自分たちの欲求をみたすこと
家と家族の世間体を守ること


夫は常に親の欲求の中にあり、自分の欲求は抑圧され、健全な自我を確立したり真の自立ができないまま大人になりました。


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〝親の思い通りの自分でいなければ〟というおもりを抱えた夫はご両親と私の前ではまったくの別人だったのです。


親の前では
従順で大人しく控えめな息子



夫は〝自分の意思〟で私との結婚を選びましたが、親の前ではあくまで受け身な姿勢であることをアピールしなければならなかったのだと思われます。



そのため、顔合わせの席でも


私と仲睦まじくする
私のために心を遣う
私の両親と関係良好な姿を見せる


これらは夫のご両親にとってはとても不快で、自分たちを脅かす悪。


夫にとっても親や家族への忠誠を破る裏切りであり、自分の居場所を失いかねない恐ろしいことなので一切封印したのだと考えました。



私とのしあわせ=親への罪悪感、後ろめたさ




例えば、

このとき既に同居していることを口止めされたり、おつきあいの間のエピソードを話すことも〝親はそういう付き合いだと思ってないから〟という理由で制限をかけられていました。


また、
結納品の交換の際も

この日夫は結納返しに贈ったスーツなど一式を身につけていたのですが、私の両親とともに選びに行ったことに話が及ぶとかなりバツが悪そうで、ものすごい目つきでした。



顔合わせで夫が私たちに感じ悪かったのは、自己保身のため。



とにかく自分の両親や実家が最優先・一番大事だという姿を見せなければならなかったのだと思います。



そして、
その後とても不機嫌で私に苛立ちを見せたのは


おそらく

私や私の両親のせいで〝親にだけ従順ですばらしい息子というキャラクター〟を完璧に保てなかったから。


また、

自分の両親の非常識とも取れる振る舞いに気づいていたが、それを認めたくなかったから、というのもあったかもしれません。



その後も何かの折に〝俺は何とも思わなかった〟〝親はいつもと同じだった〟とご両親を庇っていましたが、明らかに動揺し、目つきも口調もかなり攻撃的でした。


夫の二面性と矛盾
ご両親の露骨な拒絶の態度


これらについて、これ以上私が真実・核心に近づけないように恐怖を与え、見えない壁をつくることで逃げていたのだと思います。

今だから分かる私の心、低い自己肯定感


地獄のような顔合わせ。

私は当然傷つき、困惑と不安に襲われました。


しかし、

 

私は夫と夫のご両親を恨んだり、責めるようなこともありませんでした。



何よりもまず、


私の両親の心を

なだめなくては
安心させなくては


という使命感が大きく働き
とにかく〝しあわせ〟〝安泰〟〝順調〟をアピールしていました。

 


夫と似たような抑圧された幼少期を経てきた私はとても自己肯定感が低く無意識に親の愛情や承認を求め自分を殺していることにも気づかず必死だったと最近になってはっきり認識しました。



〝自分を犠牲にしなければしあわせにはなれない〟

〝どんな困難・苦痛も逃げるのは許されない〟

〝私は自分から何かを望んではいけない〟



このような思想が心にいくつも根を張っていました。



父母のため家族のため
世のため人のために

身を削って尽力し


必要とされ、役に立たなければ捨てられる



私はいつも不安でした。



顔合わせの時、

どんなにつらく悲しい思いをしても

最終的に、それは相手の問題ではなく〝私の問題なのだ〟と思いこんでしまいました。



普通にしあわせな結婚ができるような人間ではない私が、相手を簡単に批判したり拒否するなんていけないこと。

相手が私だから、ご両親はひどい態度だったんだ。

こんな私でも結婚を認めてくれたことへの感謝を忘れてはいけない。



〝私はこれから、本当に必要とされるように必死に頑張るのだ〟



もっと健康な思考ができていたら

もっと自分を大事にできていたら


顔合わせで感じた〝つらさ〟や〝悲しみ〟の感情を素直に受け入れ、反発するか逃げるか向き合うか、、、必要以上に傷を負わずに身を守ることができていたのかもしれません。

 

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モラハラの連鎖、本当の地獄


夫のご両親の露骨でひどい態度にはどのような思いがあったのか、私にいくつか推測できるものはありますが真実は分かりません。


いずれにしても、ご両親は私や私の両親に心理的なダメージを与えただけでなく、同時に息子のことも深く傷つけてしまったように思います。



ご両親は

〝息子のしあわせを守る〟という偽の大義を掲げることで〝自分たちの保身〟という本心を覆い、息子をコントロールして追い詰めてしまいました。


そして夫も

親に愛されるように、居場所を奪われないようにという〝自己保身〟のため、私をいとも簡単に裏切り、罪悪感を背負わせ、強引に力とコントロールで追い詰めました。


さらに、

これらの理不尽な屈辱を跳ね返せなかった私。


その日の夜にはすっかりいつもと変わらない〝外面〟の夫の顔を見せてくれていたので自分の中のモヤモヤにふたをし、それからはひたすら夫たちへの感謝とダメな自分の反省をくり返していました。



私たちの顔合わせは

後になって笑えたり、時間や関わった人々の良心が自然と傷を癒してくれるような種類の思い出に昇華することはありません。


今、振り返ると

ここには、夫と私がそれぞれ経てきた抱えてきた親との歪んだ関係性や心の闇が凝縮されていて、本当に地獄のように救いようのないモラハラの連鎖を見せつけられていたように思います。

 

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