妻、やめます。

モラハラ夫と過ごした日々の回想録

晒された嫁〜正月帰省で涙の孤軍奮闘

夫家族の良心を疑う 


とあるお正月。

この前の夏の帰省の際、子どものいない私にとってひどく傷ついた出来事がありました。


そのトラウマがあった私は
このお正月の帰省に対し、尋常じゃない緊張と恐怖を抱いていました。


それでも、何度も心をたたいて臨んだ帰省。


今回は、そのときの小さなエピソードをおはなしいたします。

妻の悲痛な胸中


行きの電車。

降りる駅が近づくにつれて私の心はいよいよ落ち着かなくなり、手を合わせて握ったり深呼吸したり。


動悸以外は夫にも緊張の様子が伝わったらしく、私に「大丈夫だから」と言いました。


日頃から夫の共感や情に飢えていた私は、
そのときの夫の「大丈夫だから」という一言に泣きそうになりました。


この前の夏、

夫の実家で子なしを責められ慟哭した悲痛な記憶は未だ褪せずに心をえぐっていました。


〝今回も妊娠の報告ができないな、、〟


また何か言われるのではないか
非難されるのではないか

恐怖と不安が激しく襲っていました。


でも、逃げられない。


今回こそは、
いい帰省にできるよう頑張らなくては。


駅に着き、心の中で気合を入れました。

重い沈黙


駅までは義父が車で迎えにきてくれました。


明るく挨拶し、お礼を告げました。
義父からはまともな返事は返ってきません。
※いつものことですが、いつもちょっと嫌な気もちになります。


そして私が気合を入れた心はこのあとすぐに壊れました。


義父は無口です。

顔が怖いわけではなく、かといって気弱というわけでもない。
なにがなんでも自身のスタイルを崩さない信念の強さというか頑固さがあり、時に非常識な態度をも貫く姿に、何か得体のしれない不気味さを感じさせました。

 

nanairo-r.hatenablog.com


車内は重い沈黙。

久しぶりに会うのにお互いに何も話さないのは不自然なのですが、これはいつものことでした。


私は結婚して最初の頃は気を遣って話を振ったりしていましたが、その度に義父の重く固い壁の前で言葉がばたばたと死にました。


〝義父は私の言葉が迷惑なのかな〟


私は義父の無言の要望に沿う形であえて話しかけることをやめました。


なので、この時も私は黙っていました。

夫はたまに小さい声で義父に何やら話しかけますが、それ以上話が膨らむことはありません。


黙ると決めたとはいえ、
この沈黙に慣れることはありませんでした。


ただでさえただならぬ緊張と恐怖と不安を抱え、ギリギリ薄膜の気合でくるんだだけの心は限界に達し、涙が止まらなくなりました。


しばらくの間、うつむいてぼたぼた手の甲に涙を落していたので、後部座席でとなりにいた夫は気づいていたと思いますが、義父と同じように夫との間にも重く固い壁がありました。

露骨な拒絶


実家に着き、
私は再び心に気合を入れました。


勝手口を開けると義母がいました。


「お義母さん、ご無沙汰してます!」


私が明るく声を張ったと同時に義母の顔は一瞬こちらを向きましたが、目も合わせず何も言わず、すぐに背を向けて台所作業を始めてしまいました。


〝え・・・⁉〟


義母の明らかに不自然で冷たく向けられた背中を見つめたまま、次の言葉が出てきませんでした。


トランクを持った夫が入ってくると、義母は何事もなかったように夫と軽く会話を始めました。


義母は、一切こちらを見ません。


他の親戚やご家族に挨拶を済ませ、荷物を部屋に運び、すぐに台所に戻って義母を手伝おうとしましたが、やはり義母の様子がおかしい。


何を話しかけても避けるような感じ。


2人きりになると何だかとげとげしいのはいつものことですが、この時の義母の感じ悪さはあまりにも露骨でした。


私は心の中でざわつくものを必死に飲みこみ、義母の感じ悪さに気づかないふりをし続けました。

夫の言い分


今までは小さな感じ悪さや嫌な思いをいちいち夫に伝えたりしなかったのですが、さすがに今回の露骨さはおかしいと思い、夫に思い切って伝えました。


「何が?俺は分かんなかったけど」

「俺の両親はムギコに良く接してると思う」


夫の表情は一気に険しくなりました。
目が怒りを帯びて威圧のまなざしを向けてきました。


さらに夫は続けて

「ムギコがこの前来た時に嫌な気もちになったって言うから、俺が気を利かせて『ちゃんとして』って言ってやったのに」

と言いました。


これが原因か・・・。


嫁が嫌な思いをしたからちゃんとしろだなんて言い方を息子からされたら、ご家族が余計に私に嫌な感情を持つのは当然です。


夫なりに気遣ってくれたことには感謝していますが、あまりにも乱暴すぎます。


夫の気遣いへの感謝と相手の感情を逆なでしてしまう危険を説明して伝えましたが、夫にはもう何も届きませんでした。


〝〇〇してやった俺に対して失礼だ〟

〝感謝が足りない〟


夫は私を責め続けました。


心を汲まずに責められたことにも悲しくなりましたが、さらにもう一つ。


冷静に考えると、
夫は「ムギコがこの前来た時に嫌な気もちになったって言うから」と言いました。


子なしを責められたとき、そこには夫もいました。

実際に夫の家族の酷い言葉を耳にし、傷ついて泣き崩れた私の姿も目の当たりにしていたのです。


妻が理不尽に傷つけられたにも拘らず、夫は傷つけた者に対し自身の心で怒りも嘆きも感じていないことにとても傷つきました。


今回の帰省は、
このような最悪な状態でスタートしました。

晒された妻


帰省して数日経っていましたが、義母の様子は相変わらずでした。

※義父はそもそも私と関わろうとしないのでいつも通り



この日は隣県に住む夫の叔父家族(叔父夫婦と大学生の娘さん)が遊びに来ていたり、夫の弟家族も帰省していてとても賑やかだったので、少し気もちが救われました。


毎年みんなでお鍋を囲むのが恒例なので、台所は準備でバタバタ。


遊びに来たみんなは居間でのんびりしていましたが、私はひたすら台所でお鍋に使う大量の野菜を洗っては切るを任されていました。


〝野菜を適当に切り続ける任務〟
〝お皿を洗い続ける任務〟


黙っていたら、ただの機械になってしまう。
義母の返しが冷たくても、周りと明るくコミュニケーションを取るように心掛けていました。


そんな中、急な展開で〝地味にひたすら野菜を切り続ける嫁〟が悪いスポットライトを浴びることになりました。


私は夫の実家の畑で獲れた立派な人参と格闘していました。

ものすごく大きいので、お鍋用にどう切るか悩みました。


「にんじんはこう切りますか?」

「そんなの適当でいい」


義母の返答は予想はしていましたが、少しだけへこみました。


悩んだ挙句、斜め薄切りにすることに。


すると、義母が急に私が切った人参を手に取って大きな声を出しました。


「なにこれ~ムギコさ~ん」

「これ鍋に入れんの~?」


私が切った人参が厚すぎたのです。


「あ、ごめんなさい!もう少し薄くしますね!」


私は義母の急なテンションの上昇にびっくりしたのと恥ずかしさで、ものすごく慌てて謝りました。


そして、作業に戻ろうとすると

さらに義母はその人参を持った手を掲げ、台所だけでなく居間にいるみんなにまで見せて回りました。


「見て~これ。ムギコさん切ったん」

「これは分厚すぎるわ~」


ものすごく良い知らせを持ってきたかのようにはしゃぐ義母。

みんなが笑っているので、私も大笑いました。


「あんまりペラペラだと形崩れちゃうかなぁと思って~」

「さすがにこれは厚いですね~うわぁ恥ずかしい」


私はおどけた様子でみんなの笑いを一身に受けました。


みんなに笑われたことは恥ずかしかったけど、それが直接心を傷つけたわけではありません。


私が傷ついたのは

  • それまでずっと冷たく素っ気なかった義母が、私をいじる時に急にはしゃいで接してきたこと

  • わざと私の恥を周りにさらしたこと



「これ分厚いから、もっと薄くていいよ」の一言で終わることだったと思います。


日頃からお互いに冗談を言い合えるような関係であれば、今回の流れは何とも思わなかったと思いますが、義母のそれまでの対応からはあまりにも不自然です。


 夫ももちろんこの騒ぎの渦中にいましたが、そのことについて私に何一つ声をかけてきませんでした。


「人参事件はずかしかったなぁ~」と自分から明るく話しかけましたが、人参を分厚く切ってしまった私を責めてるのか、私からまた義母について何か言われるのではないかと警戒していたのかは分かりませんが、夫は無視・無反応でした。


おわりに


あれから〝お鍋の人参事件〟は私の笑える帰省話のネタになっていますが、頭に残る義母の意地悪くはしゃぐ姿と声には未だに心が揺さぶられます。

※ちなみに言い訳になってしまいますが、実際、私の切った人参はそんなに笑えるほど分厚くもなかったです(笑)



どんなに傷つく私がいても

となりにいるモラハラ夫は自己保身に走る。

妻を守ることはない。


帰省の度にこの事実を突きつけられ、悟ってしまった私は孤独と虚無感に苛まれ続けました。