夫の心に潜むものの正体は?
妻の心を酷く傷つける明らかなモラハラ行為以外に、夫の言動・行動で気になることがありました。
ひとつひとつは小さなエピソードです。
でも
その根底に共通した何か、夫の心に影を落としているもののヒントがあるような気がしていました。
今回は過去の記憶をたどり、
夫の心に刻まれたものを探っていきたいと思います。
夫がくり返す言動・行動
緊張と恐怖をもたらすモラハラが息を潜め、
夫が開放的で無邪気な一面を見せるひととき。
そんな穏やかな中にも夫の気になる言動や行動がありました。
それらが何度も繰り返されることで、
私は夫の心の奥に何があるのだろう?と考えました。
おやつへの執着
夫はお菓子が大好きです。
和洋菓子・スナック菓子・アイスなど、買い足しても次々と袋が空いていきました。
駄菓子屋さんで大量に大人買いしたり、スーパーで袋にいっぱいのお菓子を買い込んだり、夜中におやつの買い出しに行ったり、、、
おやつを前に、
心からしあわせそうな夫の表情をとなりで見てきました。
そんな夫の口癖は
「大人になって、自分で金稼いでこんなに買えるってすごいよね」
このセリフを聞いた私は
きっと夫は、社会人になって自立した自分・生活に責任を持つということ・育ててくれた家族への感謝の気持ちなどを実感しているのだと思い、ささやかなことにも感動できる感受性の強い人なのだと、とても好意的に受け止めていました。
ところが、
何度もくり返される同じようなセリフに少し違和感を覚えるようになりました。
大事なことは放置か後回し
生活必需品の出費を渋る
現実的なことには無関心
私の解釈はまちがっていました。
自分の大好きなお菓子を
欲しい時に欲しいだけ
自分のお金で手に入れられる
夫は本当に純粋に、
おやつに凄まじい執着を見せていただけでした。
日頃、不平不満・攻撃・体調不良以外、私に積極的に胸の内を発することが少ないのに、おやつに関して同じような言葉を何度もくり返すこと。
まるで機械のように次々とおやつを買い込むこと。
お金も労力もおやつには厭わずに費やすこと。
私からはただのおやつ好きを超えて、何か狂信的なものを感じました。
ファーストフードは大人の特権?
夫は〇クドナルドがものすごく大好きです。
2人で本当にずいぶん食べました。
おやつと同じように、
〇クドナルドで食べている時はものすごくしあわせそうでした。
2人で外食していても、大体私が話題を探して一方的に話しかけてばかりなのですが、急に何の脈絡もなく夫がよく言うセリフがありました。
「子どもができても、ぜってぇ連れて来ねぇ」
「そんな簡単に連れて来てもらえると思ったら大間違いだ」
「てめえの金で行けるようになったら行け、だよな」
急に険しい顔になり、まだ居もしない子どもに対してものすごく恨めしく、嫌な気もちになるような言い方をしました。
最初は子どもの栄養面の心配?教育として?いろいろ考えているのかな、と思っていたのですが、夫の様子からはそのような思いは感じられません。
なぜ、子どもに敵意むき出しで邪悪な顔を見せるのか私には理解できませんでした。
ゲーム依存
とにかく夫のゲーム時間は私を悩ませました。
平日でも深夜眠るまで数時間。
休日は12時間を超えることはざらでした。
ゲームを中断するようなことを言うとキレる。
課金を控えてほしいと言うと、まったく関係のないことに論点をすり替えて責められる。
夫は自分の心身、仕事、家庭生活など、あらゆる面で支障をきたしていましたが、それでもゲーム生活を改めようとしませんでした。
課金は少し控えるようになったものの私への攻撃的な恨み節が酷くなりました。
自分がやりたいことを止められる
自分の欲望を否定される
このような時の夫の反応は異常でした。
一気に頭に血が上り、恐ろしい形相と威圧的な言葉で攻撃されました。
夫の言動や行動が意味するものとは
あげたエピソードはバラバラですが、これらの夫の言動・行動には共通する部分があるように思います。
それは
抑圧された欲求・欲望の解放
幼少の頃からずっと、家族から抑圧され剥奪され飲み込んできた夫自身の〝子ども心〟を今、全力で取り返し、自分の手で満たそうとしているのではないか、と考えました。
子どもにとってのおやつやゲームは保護者の管理下にあり、自由に手に入れることができない上、制限をかけられ、十分に欲望を満たすのは困難を極めるものです。
夫にとってもおやつやゲームは欲望通りにいかなかったものであり、それらはさらに幼い自分の心が満たされなかったものの象徴として心に刻まれていたのではないか。
モラハラの原因は
幼少期の成育過程の影響が大きいと言われています。
日頃の言動・行動の中にも、何かしらその影響があったのだと思っています。
家族のヒエラルキーと夫の立場
夫の家族は祖父母を頂点とした絶対的なヒエラルキーがありました。
すぐに自室に引きこもり、
家族とすら密に関わりを持とうとしない頑固な父親。
社交性はあるが自分本位な母親。
その下に夫がいます。
夫はいつまでたっても孫・子どものままであり〝上に従うべき者〟という立場からは逃れられず、心も体も自由が許されない〝過干渉〟に遭っていたのではないか。
夫の中に自分の核・芯というものが感じられないのは、ずっと祖父母・親が敷いたレールを歩き、与えられたものを受け取り、自発的な思考・行動は否定され許されなかったため、自分の中に自分らしさを確立することができなかったのだと思うと納得できます。
甘えられず寂しかった
自分を認められなかった
志す学業など、すべて全否定された
裏切り者と言われた
子どもの頃から、純粋な欲求や心の成長も抑圧されつづけた夫は、家族に認められるため好かれるために〝良い子〟になって自己保身するようになったのではないかと思います。
夫が本当に求めていたものは?
夫が幼い子どものように見えることがよくありました。
おやつやゲームへの異常な執着以外に、
私の顔色を窺いながらとても甘えるとき
夫を肯定する言葉をいくつも欲するとき
無理難題を要求してくるとき
むき出しの弱さ・自虐的な自分を見せるとき
など
そういう時、
ふと30代の男性が小さな子どもになりました。
モラハラを受ける日常の中で、自然体とも演技とも違う不思議な夫の様子に戸惑うこともありましたが、そのままの夫を受け止めるようにしていました。
夫と夫の家族を知る程に
〝夫は私に母親を見ているのかな〟
と思わせたからです。
夫は幼少期から理不尽に、強引に〝自分〟を抑圧され、家族から求められた役割を演じることで、自分の居場所を必死に守ってきたのだと思います。
しかし、
抑圧されたものはどこかで飽和状態になるため、どこかで解放しなければなりません。
夫は自身の手でそれを行うだけではなく、さらに、妻という〝疑似母親〟を使って幼少期に満たされなかった子ども心を埋めることで、寂しかった自分・不遇を感じた自分を払拭し、過去の自分に対し優越感に浸ることで自身の心を保っていたのかもしれません。
ここまで、すべて私の推測に過ぎませんが、
夫のとなりにいた間
夫の元を離れた今
感じたこと、考えたことを書いてみました。
今後、新しい気づきや正しい知識を得た際には、また記事を改めたいと考えております。