モラハラ夫と〝家庭を築く〟はムリ!?
私たち夫婦の結婚までの道のりは波瀾万丈。
たくさんの苦悩と悲痛を経て、やっと夫婦になることができました。
出会ってから夫に好感と安心感を抱き、ふたりで歩む未来という夢を与えてくれた夫。
しかし、義両親の反対され
妊娠するも産むことを許されず、子どもを中絶。
度重なる悲痛と押し寄せる自責の念。
それでも最後まで夫を信じ心を繋いだのは
それまで夫が見せてくれていた広く大きな心、力強い言葉があったからだと思います。
〝家庭〟や〝家族〟への篤い情
理想の将来への深い信念
自分の立場や役割への強い責任感
となりにいる私へのまっすぐな心
時に、まじめな面持ちで堅く
時に、柔和な空気をまとって優しく
心に残るさまざまな夫の言葉や行動
これらが後にまったく形を変え
或いは、その形跡すらも失われてしまう事態など想像できませんでした。
形は夫婦となり、家庭を持った私たち。
でも、夫は私とともに家庭を築くということには関心がありませんでした。
今回はそんな夫と私の家庭生活や
家庭を築くことへの夫の心を考えてみたいと思います。
妻の家庭への思い
私は生まれたときから家族がいて
衣食住も不自由なく育ちました。
しかし、幼少の頃から両親の激しい言い争いに巻き込まれ、人知れず日常的に緊張と孤独への恐怖を強いられてきました。
逃げたくても逃げられない。
逆に、見捨てられないように
偏った大人から与えられたいびつな枠に必死に自身を馴染ませようとしていました。
絶望的な音や光景
泣きながら小さくうずくまり
時に身体を張って仲裁にも入りました。
子どもらしい明るい思い出もありますが、私の記憶と心には恐ろしい出来事や悲しい場面が無数に刻まれています。
知らないうちにはめられていた
〝悪しき家族の足枷〟
家族は重たくて、なんか苦しい
そのような私ですが
それでも〝いつか私なりのしあわせな家庭を築く〟という希望を持ち続けてきました。
夫婦が 家族が
お互いに心を寄せ合い
あたたかく安心に満ちた家庭
漠然としていますが
時にぶつかり
時に躓きながらも
ふたりで
ふたりの
思いや考えを重ね
私たちの答えを出し、方向を定めていく
あまりにもキレイすぎる理想だと分かっています。
現実はもっと不格好でありながらも
ただ、家族・家庭の根底にあるものが恐怖ではなく、お互いに尊重し合う信頼や安心でありたいという願いでした。
育ってきた環境や経てきた関係を反面教師に
また、
心の奥でかすかに生き延びていた〝恐怖のない家庭〟へのあこがれを希望にして
私の家庭への思いは重ねられていきました。
〝家庭を築く〟に抵抗するモラハラ夫
わざわざ「家庭を築くってこういうことだよね」って確認しなくても、結婚したら何となく自然と夫婦・家族をベースに家庭生活を重ねていくものだと思っていました。
しかし夫はいつまでも〝家庭生活〟〝家庭を築く〟ということへの意識か薄いままでした。
あくまでも〝俺の生活〟が中心。
一人暮らしと変わらない部屋
一人分の食器
一人分の布団
物質的なことだけではありません。
生活リズムや娯楽
一人分の満足
一人分の快適と快楽
必要なことやもの、時間や空間の共有について相談しようと話しかけてもまともに聞いてはくれませんでした。
適当な態度であしらわれたり
鋭い眼光で睨みつけてきたり
急に恐ろしい形相で乱暴な言動をあびせられたり。
避ける、無視する、激しく突き放す。
「俺は要らない」
「俺は満足してる」
「文句あるなら出ていけ」
「不満があるなら金持ちのとこへ行け」
「俺と同じくらい稼げないなら文句言うな」
ふたりの生活のために
ふたりのことを相談したいだけ。
でも、夫は
家庭や生活などの現実的な話題を嫌悪し
日常会話レベルで和やかに終わるような提案や意見であっても、私が対等に発言することに異常な反応を示し、心が立ち直れななくなって私がひれ伏すまで徹底的に抵抗し攻撃を止めませんでした。
夫の思考の根底にあるもの
夫婦や家庭についての夫の思考は
生活を重ねていくうちにより顕著で強固なものとなっていきました。
俺の家
俺の金
俺の時間
過去のブログでもおはなししていますが
夫の「俺の◯◯」という主張には本当に苦しんできました。
稼いでる俺が上
稼がないお前は下
家もお金も時間も
稼いでいないお前には何も言う権利がない
稼いでる俺が自分の好きにして何が悪い
俺はあなたを養ってやってるけど
あなたが俺に何かしてくれたことってある?
さまざまな言い回しで何度も放たれた夫からのメッセージ。
〝お金を生む偉大な夫〟と〝お金を生まない無能な妻〟
夫が作りだしたお金による上下関係
お金を生まない自分には存在価値がない。
私は夫にいつ捨てられるかわからないという不安を抱くようになりました。
夫の役に立つために
夫に必要とされるために
夫に尽くしてもっといい妻にならなくては
私は〝夫の望む生活〟〝夫が満足のいく生活〟のために奔走するようになり、普通に生活していてもいつもどこかで〝すみません〟〝申し訳ない〟という思いに駆られ、自己否定と罪悪感に苛まれました。
夫にとって家庭は
ともに暮らし
ともに築いていくものではなく
俺の生活を便利で豊かにする箱であり、自己を守り、満たすための道具にすぎないようでした。
〝家庭を築く〟に向き合えなかったモラハラ夫特有の理由
とにかく現実的なことには頑なに目を背ける夫。
夫の機嫌や顔色を慎重に窺い、私なりに伝え方やタイミングにかなり気を配っていましたが、夫が気持ちよく向き合ってくれたことはありませんでした。
家庭・生活・将来
なんで話し合うことができないんだろう
なんで考えることができないんだろう
その答えは、後になって何となく分かったような気がします。
〝家庭を自分たちで築いていく〟ということが分からなかった夫は、自分にとって未知なものを突きつけられることがものすごく怖かった。
人目を異常に気にし、周りの人々を自分を中心に上か下か、優か劣か、勝ちか負けかで判断する夫なので、自分より下とみなしている妻からの提案や意見は脅威だったのかもしれません。
私がなんの意図もなく発したことに対し、夫はそれを支配や操縦と捉えることがあり、何度も驚かされることがあったからです。
自分が上の支配関係を保つため
自分の尊厳を傷つけないため
夫は私を攻撃し、恐怖で黙らせることに必死な夫。
家庭がどうであれ
家族の心がどうであれ
何が何でも自分の歪んだ欲求を満たし、自己保身に走るモラハラ夫特有の思考が働いていたのだと思います。
モラハラ夫との未来はいつまでも平行線
生活が成り立っていたのは
日々激務をこなし、頑張ってくれていた夫のおかげです。
その感謝の思いは溢れるほどありましたが、いつも不安と恐怖が拭えませんでした。
切っても切り離せない〝生活〟について夫婦で向かい合えない日々。
家の安心や安全
家庭の喜びや楽しみ
ふたりの生活を考えれば考えるほど存在が貶められたり、心を否定される。
夫の思惑通りに動けなければ「いらない」「必要ない」と突き放される。
〝自分さえよければいい〟
〝誰かが何とかしてくれる〟
自分がないモラハラ夫の無責任と覚悟のなさ。
家庭を自分を守り飾るためのものだとするモラハラ夫とはどれだけ心を重ね、言葉を尽くしても〝ふたりで私たちの家庭を築く〟という未来はやってこなかったと思います。