守りたかったのは子どもの命より〈すばらしい息子〉としての俺
今回は、前回の『私たちが子どもの命を手放した話①~妊娠とそれぞれの心』の続きです。
結婚前、ふたりの間にできた子どもを中絶した私たち。
中絶手術までのリミットは約2週間。
産みたいと懇願する私
問答無用で中絶を強要する夫とその家族
ここでは、私を追い詰めた中絶をめぐる夫と夫家族の言い分、またそこに見られたモラハラの特徴などを振り返ります。
※今回のおはなしも、人によってはとても不快に感じる部分があるかと思われます。
私自身もまだ心の整理がつかず、悩み苦しみの中にあり自問自答をくり返している状態です。さまざまなご意見ご感想があるかと思いますが、当時のありのままの出来事・思いをおはなししたいと考えております。
どうか、温かく見守っていただくか、こういう例もあるということで反面教師として捉えていただけると幸いです。ご了承ください。
ひとときのしあわせから絶望へ
夫が中絶の同意書にサインし、
私は約2週間後に設定された中絶手術を待つ身となりました。
まだ子どもの命を諦められない私はもう一度しっかり話し合いたいと思いながら過ごし、そんな私の思いは空気で夫に十分伝わっていたはずですが、夫は子どもについて一切触れることなくいつもと変わらない様子でした。
休日、
明るい陽の光が差し込む布団にふたり並んで横たわっていました。
私はひとり、つわりの苦しみに悶えながらもからだ全体で子どもの存在を感じていました。
そんな中、夫がぽつぽつと話し始めました。
「俺たちの子どもはさぁ・・・やっぱりムギコに似て〇〇かなぁ」
私の特徴をからかうような冗談を言う夫に、私も冗談ぽく返しました。
「もし子ども生まれたらさ・・・」
と、また言葉を重ねる夫。
自分でも不思議なのですが、少しでも気を抜くと泣いてしまいそうな状況だったのに、夫の冗談に動揺することなくとても穏やかに素直に返していました。
ちょっとふたりで笑ったあと、
「よし!子ども産もう」
夫が突然、高らかに宣言しました。
「子ども産もうか」とか「よし!産もう」だったかもしれません。
大事なセリフの記憶が曖昧ですが
夫の穏やかな笑顔と弾んだ声
とてもしあわせな瞬間でした。
ふたりの気持ちが決まったところで、両親に報告することになりました。
まずは私の両親。
どちらかというと保守的で固い両親ですが、気持ちよく祝福してくれました。
そして、次は夫の両親。
「俺の両親はね、話の分からない人たちじゃないから」
夫はそのようなことを言い、張り切って電話をかけました。
夫の母親が電話に出たようでした。
あとから夫に聞いた話によると、
「今は子どもができなくて悩んでいる人もいるからよかったね」
「おめでとう」
私たちの交際を反対していた一人である夫の母が祝福の言葉を下さったそうです。
しかし、そのあとで気になる一言を伝えられました。
「でも、お父さんが何て言うかわからんよ」
伝えた夫も聞いた私も空気が重くなりました。
夫は「俺たちがつき合ってることを話した時、母親とおばあちゃんは反対したけど、父親は、俺が選んだ人なら大事にしなさいって言ってくれたから大丈夫」と言い残し、父親と話をするためにアパートの外に行ってしまいました。
ずいぶん長く話していたと思います。
部屋に入ってきた夫の表情が暗く沈んでいました。
恐る恐る「どうだった?」と訊くと、夫は
「堕ろしてもらいなさいって・・・」
この後、「産もう」と言ってくれた夫は二度と戻ってきませんでした。
私たちのしあわせな時間はほんの一瞬で終わってしまいました。
中絶の強要、夫たちの言い分
もともと夫の家族は一方的に私のことを〝息子をたぶらかした年上女〟と思うくらい悪者扱いしていたので、妊娠も私の勝手な策略か何かだと決めつけていたのだと思います。
〝息子はかわいそうな被害者〟
このような意識があったことは明らかです。
なぜなら、子どもを堕ろすという心身に大きな傷を負った私に対し、最後まで人間らしい配慮が一切ありませんでした。
私は夫を愛していたし
夫もふたり同じ将来を歩むことを望んでくれていた。
そして、夫はふたりの子どもを産もうと決めてくれた。
私は子どもの命を諦めることができず
それから何度もその思いを必死に訴え、産みたいと懇願しました。
夫は家族に話をするために実家に行ったりしてくれましたが、私の思いに反し、夫の中絶の意思はより強固になり、話し合いは疎か理不尽な言い分で私の声を制しました。
家族と何をどう話し合ったのか
夫は家族に何と言ったのか
そして、
夫の気持ちはどうなのか
納得のいく答えはもらえませんでした。
離婚したらかわいそう
「将来、別れたら子どもがかわいそうだから」
夫が言った言葉です。
〝別れたら・・・?〟
なぜ、将来私たちが離婚すること前提で話すのか意味が分からず、夫に何度問うてもそれには答えず、「とにかく子どもがかわいそう」と繰り返すばかり。
この時は好きなひとから〝別れたら〟という言葉が飛び出したショックで冷静に思考できていなかったのですが、おそらく夫の家族から言われたことをそのまま伝えていたのだろうと思います。
祖父母に会えなくてかわいそう
「おじいちゃんおばあちゃんがいないまま育つとかわいそう」
〝祖父母がいない・・・?〟
私も夫もお互いに両親が健在なのに〝いない〟とはどういうことなのだろうか。
夫の両親が生まれた子どもに会わないと言っているのだろうか。
それとも
私が生まれた子どもを夫の両親に会わせないつもりでいると思い込んでいるのだろうか。
そして、祖父母についての主張はさらに続きがありました。
「おじいちゃんおばあちゃんがいないと子どもが歪んで育つかもしれない」
〝祖父母がいないと歪む・・・?〟
夫は祖父母とともに暮らし、いろんなことを学び吸収して育ったのかもしれない。
でも、
祖父母がいないから歪むというのはあまりにも偏った見解ではないのか?
これも夫の家族が夫に叩き込んだ価値観なのかもしれません。
私は必死に自分の言葉で思いを伝え、夫の言葉を求めましたが最後までかみ合わず、納得のいくような説明はなく話し合いもまったくできませんでした。
悪口しか言えない
「いま来られても悪口しか言えないから来ないで」
これは、夫の家族から伝えられた言葉です。
私はどうしても夫の家族と直接お会いして話をしたいと思い、夫に私を実家に連れて行ってほしいとお願いしました。
つわりで起き上がるのもままならない状態でしたが、刻々と近づく手術まで何もできないことが耐えられなかったのです。
夫の家族に会ってお話したいということを夫から伝えてもらったところ、この言葉が返ってきたそうです。
夫の家族の言葉はもちろん、夫が「そう言ってたから」という風に平然と伝えてきたことにもものすごく傷つき、慟哭しました。
心を容赦なく潰され、引き裂かれる日が続き
この頃の私は夫との別れ、子どもとの別れを意識するようになっていました。
親と縁が切れちゃう
「これ以上言ったら、俺が親との縁が切れちゃう」
夫の家族に会いに行くのがだめなら、せめて話をさせてほしい。
そう夫に必死にお願いしていた時、夫が言いました。
私はこの言葉を聞き、何も言えなくなりました。
私が自分の思いを遂げたいと思うことで、
大切に思ってきた人を不幸にしてしまう。
周りを見れば、
私は自分の両親にも心配をかけ
職場にも迷惑をかけ
夫の家族の心に憎悪をもたらし
そして
夫は今、かけがえのない家族との絆が損なわれようとしている。
私は急に怖くなりました。
冷静に振り返れば〝縁が切れる〟と言った夫の様子はたいして切羽詰まっておらず、ただ私の訴えが鬱陶しくて放った言葉だったと思います。
でも、
激しいつわりと
子どもを産もうと変化していくからだを抱え
子どもへの愛おしさが募る日々の一方で、
無慈悲にあびせられる惨い現実。
かなり追い詰められていた私は
心の形を歪ませ、委縮し、
絶えず思考と感情が入り乱れ、
より自責の念に駆られるようになっていたように思います。
今だから分かるモラハラの顔
あの頃の私は『モラハラ』を知りませんでした。
今、振り返ると
中絶をめぐるやりとりの中には『モラハラ』の特徴があらゆるところに表れていました。
- 会話できない
- 共感できない
- 責任転嫁
ふたりの間にできた子どもなのに、まるで他人事。
おつきあいを重ねて寄り添ってきた関係であっても、私の心を受容・共感することはなく、自身の心を開示することもなかった夫。
今思えば、命をめぐる問題なのに
不気味なくらいに感情が平坦で淡々としていました。
夫はおそらく
〝家族の中の自分〟
これを失うことを恐れたのだと思います。
ほんの一瞬だったけど、きっと子どもを産もうと決めたのは夫の素直な気持ちだったと思う。
でも、
自分の〝意思〟を実家の家族は肯定してくれなかった。
以前、以下の記事にも書いたのですが、
夫は純粋な欲求や心の成長を抑圧されながら、家族に認められるため好かれるため、自尊心を保つために〈すばらしい良い息子〉であることに異常に執心して自己保身してきたと思われます。
なので、夫にとって家族に否定されること、家族の思う〈良い息子〉から逸脱することは致命的であり、絶対に許されなかったのではないか。
とにかく夫には自分がありません。
確固たる価値観も信念もありません。
すべては自分を守るため。
夫と夫の家族が中絶をめぐって、何をどう話したのかはまったく分からずブラックボックスの中です。
人としての感情や心を排除し、ただ夫家族の一方的な意思を淡々と繰り返すだけの機械と化した夫の異様な姿。
それを思うと、
夫は夫家族の期待を裏切る〝子どもを産むという主張〟はできなかったのではないかと思います。
モラハラ加害者を育んでしまう家庭環境や家族関係の特性を当てはめると、夫が私に中絶を突きつける一連の言動にちりばめられた数々の違和感の意味が理解できるような気がしました。
夫が何よりも守りたかったのは、俺。
ふたりのあいだに宿った新しい命について深く真摯に話し合うことなく、
親の言葉を借り
一方的な理屈を放ち
目の前の責任から逃げ出したのは
家族から愛される〈すばらしい息子〉である自分でいたかったから。
それにしても、
この時、私が夫のモラハラ気質を理解していようといまいと、まともな話し合いを避け、一方的に中絶の強要を突きつけた夫はあまりにも非道で無責任です。
そのような、一貫して人の心・命を軽視するような人間性を有する人を受け入れることは普通は考えられないことです。
でも、私たちは結婚しました。
この後、夫は
中絶を強要する冷酷非情な顔から一転し、再びそれまでの誠実で頼もしい姿を見せたのです。
私と私の両親は、まるで救世主のような言動と態度を示す夫を信じ、心を預けていきました。
中絶手術までのわずかな数日間。
夫は私たちに何を語り、どう振る舞ったのか。
それについてはまた次回、
『私たちが子どもの命を手放した話③』にておはなしいたします。