それでも夫を信じた妻の心理
前回は、モラハラ夫との出会いからおつきあいに至るまでのおはなしでした。
私は、モラハラ気質を持った人だとはまったく気づかずに誠実で真面目な夫の人柄を信じて愛情を寄せていきました。
モラハラを見抜くのは難しい
なぜなら、夫はとてもいい人であり
モラハラを感じさせるものは何もなかったから。
これはおつきあいが始まった後も
基本的には変わりませんでした。
今回は
ハードすぎる紆余曲折を経ながらも、結婚へと前進した私たちのおはなしです。
前回のおはなしはこちらです。
モラハラ夫と結婚のなぜ
そもそも被害者妻は〝どうしてモラハラ夫と結婚したのか?〟という疑問を持たれる方は多いと思います。
この答えを先に言ってしまうと
夫がとてもいい人だったから。
他のモラハラについての記述や、多くのモラハラ被害者・経験者の方々と同じように、私も結婚するまでは夫がモラハラをするような人だとは分かりませんでした。
モラハラ加害者は、内と外という明確で異常な二面性をもつ特徴があります。
完璧ないい人になりきる外面
自身の処理しきれない負の産物を吐き出す内面
結婚前の夫は偽りの外面で私に接し、
私は、そんな異常で歪んだ自己愛で保身する夫の姿を見ていたのです。
モラハラが発動されるのは
結婚や妊娠・出産によって、妻が立場や環境上逃れられないと確信してからが多いそうです。
確かに私たちも、結婚が決まって入籍前に本格的な同棲が始まったあたりから夫に変化が表れ、入籍後は分かりやすく豹変しました。
結婚への険しい道のり
夫家族からの反対
おつきあいは順調でした。
人柄は温厚でのんびり。
おおらかで優しい人。
夫は自分の気持ちをしっかり言葉にしてくれる人でしたので、心の裏を読んだり察する必要がなく安心してとなりにいることができました。
※結婚後はこれが真逆になります。裏を読み、察しまくりで疲弊します。
※正確に言うと、この頃の夫はそのようなオープンな彼氏を装っていたのだと思います。発していた言葉や態度が本音だったのかどうかは今となっては不明です。
夫は教員の仕事が忙しく、残業を終えるのは深夜。
私はシフト制の仕事で勤務時間も休日も不規則。
なかなかお互いの時間を合わせることができなかったため、私は自分が行けるときは仕事後に夫の家に行きました。
後に半同棲のような形になると簡単な2人分の夜食を作って食べたりもでき、ちょっとの時間しか一緒にいられなくても充実していました。
しかし、おだやかな時間に暗雲が。
夫がお正月に実家に帰省した際、私とのおつきあいを家族に伝えると母親と祖母に反対されたというのです。
父親は「イチオが選んだ人なら」と言ってくれたそうですが、結局夫に彼女ができたことは誰からも歓迎されていませんでした。
私は、ただ存在していただけで嫌われてしまったのです。
やはり、私が気にしていた年齢差が主な原因だったようです。
〝都会の年上女がうちの大事な息子をたぶらかしている〟
これが、夫の家族の見方でした。
一方的なひどい思われように悔しくて悲しくて、感情をかき乱されました。
後に明確に思い知ったことですが、
夫の家族は〝東京〟〝都会〟に対してものすごいアレルギーを持っていました。
また、35歳まで結婚できない女性に対して強い偏見をもち、何かしら欠陥があるのではないか、訳アリなのではないかというイメージが拭えなかったようです。
そして、私に悪いイメージを抱く原因は夫にもありました。
夫は家族の前でも、異常な外面の良さでいい息子になりきっていました。
- ものすごく大人しい子
- ものすごくやさしくていい子
- ものすごく内弁慶
- ものすごく純粋で純朴
今まで物静かで家族の言いなりだった息子が、急に年上女性とのおつきあいを主張してきた。夫の家族は、年上女性からの良からぬ大きな力が働いていると考えたのだと思われます。
妊娠と中絶
夫家族からの否定的な意を知らされた私はすっかり委縮してしまったのですが、夫の様子はその後もまったく変わることなく私を大切にしてくれました。
実家の反対意見にも動じずにおつきあいを続けてくれる姿に、
〝信念の強い人なんだな〟
そう思っていました。
俺との子どもが欲しいと思うか
ムギコはいいお母さんになれると思う
俺は結婚を考えた人としかしない(性交渉のこと)
(結婚を)あまり待たせないようにするからね
など、あまりに率直で唐突な質問や言葉に驚くことも度々ありました。
おつきあいを始める際にも結婚を前提としていることを伝えられていましたが、本当に結婚を視野に入れて真面目に考えてくれていることに、私はそれまでよりも一層夫を信じ安心を得ていました。
そして、おつきあいを始めて7ヶ月経った頃。
妊娠しました。
私は最後まで必死に産むことを望みましたが、
夫の家族と夫の猛反対により、それはかないませんでした。
夫から伝えられた言葉は、どう考えても私やおなかの新しい命への思いやり・いたわりに欠けたものでした。
しかし、夫はそんな負の言葉をすべて飲み込んでカバーするような言葉や態度を示しました。
私の中の良心や罪悪感を巧みに刺激することによって、私の感情を意のままにしていたのです。
そして、中絶を迫られて絶望し、弱った私に対し
「必ず俺の家族に祝福されるように努力するからついて来てほしい」
「俺が必ず橋渡しになる」
「俺を信じてほしい」
夫は熱心にこのような言葉を繰り返しました。
中絶を迫られていた時、
私はつわりに苛まれる身体をふとんに横たえて泣き続けていました。
〝信じて好きになった人と別れ、おなかの中の愛おしい命も手放さなくてはならない〟
この時の私は、夫との別れを意識していました。
しかしその後、
私に対してだけではなく、
私の両親に対しても〝必ずムギコを守る〟というメッセージを堂々と、力強く、はっきりと発信し、約束を宣言する夫の姿を目の当たりにしました。
心身傷ついてボロボロだった私は、もう一度夫を信じ、夫が通してくれた道を歩いてみようと決めるのでした。
結婚へと動き出す
夫の家族の反対
妊娠・中絶
大きすぎる試練を与えられた後も、夫は何も変わりませんでした。
私の心と身体に深い傷がついたこと以外は。
私は度々中絶に関わるフラッシュバックに苛まれました。
でも、夫には伝えませんでした。
夫は前と変わらず優しくていい人。
私との将来に目を向けて、前を見てくれていたからです。
つき合って1年経った日の朝。
夫からプロポーズされました。
「待たせてごめんね」
と言われました。
その後、夫の家族から〝身上書〟を求められたり、夫の実家へご挨拶に伺った際のご家族の様子などに何となく違和感やひっかかるものを感じましたが、結婚を許してくれたことには心から感謝していました。
このとき既に、
結婚していただく私
結婚してやる俺
結婚を認めてやる夫家族
という、上下関係のような構図の原型が出来上がっていたように思います。
しかしこの時の私は夫とともに人生を歩めるという喜びの中にいたため、自分が愛した夫の人柄・言葉を信じ、結婚までの一つ一つの行程を丁寧に大事に歩みました。
それでも結婚を決意してしまう妻の問題点
夫と家族からの無責任な中絶強要
理不尽な人格否定
私はひどく心を傷つけられ壊されました。
どちらのタイミングでも、あっさりすっきりと縁を切るという選択肢を選ぶのが健全だったのかもしれません。
でも私は別れなかった。
理由は
愛したひとの〝優しさ〟〝強さ〟〝頼もしさ〟を信じたから。
そして、
その根底には私の〝自己肯定感の低さ〟がありました。
私が育った家庭環境。
衣食住に不自由することなく恵まれていましたが、心を育む環境としてはよくありませんでした。
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私が成長過程で家庭環境から受け取ったメッセージは
- 私は両親の悪い因縁を継いでいる
- 普通にしあわせにはなれない
- 何かを犠牲にして成し遂げなければしあわせにはなれない
- 人として欠陥があるから、人一倍苦労しなければならない
- 親の悪いものを背負わなければならない
私はもともとしあわせになれるような器ではないため、とにかく誰よりも世のため人のために尽くし、役に立たなければならないと強迫されているような感じでした。
人のために尽くすことはよいことのように思われますが、このメッセージの基本は
〝自分を大事にすること〟は【悪】
とされていたのです。
私が夫よりも年上であることで生まれる苦しみ
夫の家族から拒絶される苦しみ
子どもを中絶する苦しみ
私は、恵まれた生まれではないからこのような〝試練〟に見舞われる。
それらがひどく理不尽であっても、自分を失くし、心身を削って乗り越えなければしあわせに近づくことができない、と考えるのです。
年上で微妙な年齢なのに
家族から反対されていたのに
夫はこんなにも私を愛し、大事にしてくれている。
私との将来を真剣に考えてくれている。
欠陥だらけのダメな私に、あたたかく手を差し伸べてくれる存在があることに感謝しなくてはいけない。
自己肯定感の低さと夫の巧みな言葉の誘導により、私は自分の存在がより【非】であり【悪】であるように追い込まれていました。
一番最悪な組み合わせ
夫は外面の最たる素晴らしい言葉と態度でもって、私の心を捉えていました。
モラハラどころか、
ものすごく器の大きい・心の広い人格者であるような人物像を演じていました。
そして私は、自己肯定感の低さによって
夫のモラハラ気質を見抜けないどころか、モラハラを助長させる材料を与えてしまっていたのです。
結婚前に立ちはだかる障害があっても
私の人生だから完璧じゃなくて当たり前だと思っていました。
私の人生で、
夫のような素晴らしい人に出会えただけで大きな奇跡・ご褒美だったのです。
だから、
困難や苦労があっても逃げてはいけない。
必ず夫をしあわせにしなければならない。
これから努力をかさね、心をかさねて家族になるのだ。
明るく前向きに頑張ろう。
それが私に結婚を決意させた思いです。
しかし正直に言うと、中絶をした後悔はいつまでも拭えませんし、夫や夫の家族に対しても、もっとちゃんと私と向き合って欲しかったという思いも残したままでした。
もっと、
自分の心の声に素直になれていたら
自分が受けた心の悲しみや痛み、苦しみ、嘆きに対し、正しく向き合えていたら
本当に、
自分を大切にする生き方ができていたら
私はどこかで、夫とのその先の人生を踏みとどまることができていたかもしれません。
自分がモラハラ被害者かどうか迷ったら読んでみてください。Q&A方式で書かれていて、とてもわかりやすいです☟